東方キャノンボールやってたので関連して色々と考えごと

4連休で暇になってブログの存在を思い出した。

最近になって東方キャノンボール(以下、CB)をやりだして、東方ロストワード(以下、ロスワ)との比較で思うところがあったのでつらつらと書き留めておく。

基本プレイ無料のスマホゲーはビジネスモデルで考えるとフリーミアムモデルになる。このモデルで売上を上げるのだと考えたときに、シンプルには出発点は二つに分かれる。利用者数を増やすにはどうするかと、平均課金額をどうやって増やすか。後者については課金者割合と平均課金額の掛け算になる。

利用者について考えてみる。CBとロスワで比較して考えてみると、大まかには東方ファン層 x (ゲーム種別) になる。CBはボードゲームとしたことで、大幅にユーザー母数を減らしている。一方でロスワは悪く言うとそこらのソシャゲにしたことで、ゲーム種別による減少率は大したことがない。実際の比率は不明だが、ざっくり桃鉄の売上本数とドラクエやFFの過去を振り返ると、日本だと5倍程度は差がありそう。
ここから中身の出来による減少率が発生していって、そちらにも思うところはそれぞれ色々あるけれど、今日はおいておく。

平均課金額について考えてみる。CBは基本的に天井無しのガチャ一本やりなので、課金者割合:少 x 平均課金額:大のタイプのゲーム。通常プレイでもガチャ用の石は(相対に)くっそ渋く、無課金プレイヤーが石を使って10連するのは年に数回で押しキャラが来たときくらいと予想される。
ロスワは天井ありでスキンもありなので、課金者割合: 多 x 平均課金額:小のタイプのゲーム。通常プレイではガチャ用の石は大量に配られ、やろうと思えば毎日10連できる。

比較すると、前者は少数に大量課金してもらうことで売り上げを作り、後者は自ら天井を儲けていることもあり、多数に相対に少額の課金をしてもらうことで売り上げを作るモデル。
前者(CBタイプ)についてはフリーミアムモデルの特徴が一部強く出ると思われる。天井なし低確率ということは、ガチャの成果(=金を支払ったことに対する報酬)の不確実性が高く要求額も大きくなることがプレイヤーには想像されるため、課金する人は一部に限られる。多くのユーザーは、そこまでの金額はかけられない、として新商品(新ガチャのキャラ)を諦める。つまり利用者数が多くないと成り立たない。このモデルのガチャが新しくなる度の売り上げについて、横軸にプレイヤーID、縦軸に売上(ガチャ後一定期間の課金額)を取って売上が高い順に左から並べた場合、一般的には一番左端のごく細いところに高いピークが出来、一気にゼロになる図が出てくる。
このモデルは十分なアクティブユーザー数を確保した上で、ガチャの度に違うユーザー(違う財布)から数万円の課金を望むことになる。たまに毎回数万とか10万とか課金する人が紛れ込んだりもする。ただし、ユーザーが少ない場合はこのピークの幅と高さが安定しない。このモデルは十分に大きな母数に対しては確率が期待値通りに見込まれることに基づく。よって、母数が小さい場合は、そもそも利用者が少ないことによる売り上げの低さに加え"はずれ"が起こり得て、売り上げが期待を大幅に下回ることも起こりえる。

一方で、後者のロスワモデルはフリーミアムモデルと月額課金型ゲームの間みたいなものを目指すモデルと言える。低い天井を設けてガチャの成果(=金を支払ったことに対する報酬)を確実にすることで、課金するプレイヤー数を増やすことを狙う。普段からガチャ用の石も大量に配ることで、課金する必要金額も低くなる。人気キャラで売り上げが爆発しても天井によって売り上げ自体も天井がある。CBモデルと同様の図を描いてみた場合、高さは低いが横に長い図となる。なお、売り上げの合計値がどちらのモデルが大きいと一概には言えない。
こちらのモデルは高さはともかく売り上げの安定を得やすいため、利用者が少ないときでも売上を得やすく、ただし利用者が多くなっても爆発的ピークはできないため相対には上り幅が控えめとなる。利用者数が少ない場合は課金率と課金額が計画通りでも赤字というリスクもある。

上記のどっちが売上観点としてよいだろうねと考える場合、色々ある一つの切り口としてターゲットユーザーはどんな人たちなのか?がある。
ターゲットユーザーは普段娯楽や趣味にどれくらいの頻度で、どれくらいの金額を出しているか、という切り口となる。売り上げを立てる=ユーザーに課金してもらうということは、つまりはユーザーが他の何か(多くは同じような娯楽や趣味)に使うはずだったお金を他から奪うということになる。および、その人がこれくらいの金額なら使ってもいいと思っている金額、というものは課金額の設定として考慮すべきものになる。

東方ファンをターゲットとした場合について、比較しながら考えてみる。(以下は個人の誤解と偏見を元にしていると前置きする。)
例えばFGO。アニメ化もした今はともかく、初期を考えると極論するとコアターゲットユーザーはエロゲユーザー(型月ファン)。趣味・娯楽に対する支出の習慣としては月に数万出すことに抵抗がない人たちと言える。
例えばマギレコ。元がまどマギでアニメであることから、極論するとコアターゲットユーザーはアニメファンでBDも買う人たち。趣味・娯楽に対する支出の習慣としては月に数千、年間で数回くらいは気に入ったアニメのBDとして数万出すことを厭わない人たちと言える。
じゃあコアターゲットユーザーとして考えたとき、東方ファンはどういう人たちだろうか。その中に上記も含まれることは承知しつつ、個人的には数か月に一回数千円程度同人関連出費に使っている人たちだと考える。趣味・娯楽に対して一度にする支出の感覚は漫画や同人誌といったものが基準で、特定分野に1万を超える支出は年に数回は許容しても数万出すということはかなり特別感がある、あるいは抵抗がある人たちではないか。
もちろんコミケなどに遠征費として旅費も合わせて10万単位の人もいる。ただ平均として考えた場合、幅が広く緩くそこらの一般の人と大した違いがない存在ではないかと思う。エロゲの1つ約1万のパッケージソフトを月に数本買っていたり、アニメのBDを年に何回かマラソンしていたりなんてわかりやすい括りができず、分類しようとするほど「東方を知っている一般人」になってしまうのではないだろうか。また仮にそういう人をコアなターゲットユーザーとしても、購買行動として一つあたりの単価が数百円を数十購入する人というわけで、やはり上記二つとは種類が違い、一つのものに数万を出すことには相対ハードルが高い人たちと考えられる。

という比較をして考えてみたところ、東方CBは出来がよいのに売上が苦戦しているのは、ある意味必然に思えてしまった。そしてロスワが明らかに低予算な同人ゲーの体で好調なのもある面では非常に納得がいく。まあ、所詮は後付けなので、後からならどうとでもいえる、ではあるが。
CBはフリーミアムモデルにおいて目指すべき利用者の拡大という道をボードゲームというジャンルを選んだことで捨ててしまった。一攫千金を狙う課金モデルだが、利用者が少ないために確率が安定する閾値を下回り、売り上げが安定しないと予想される。キャラを手に入れるために必要と期待される課金額も東方ユーザー層(ほぼ一般人)の趣味・娯楽に対する支出の感覚値と乖離する設定のため、さらに売り上げ向上は細い道となってしまった。
ロスワは普通のソシャゲにすることでユニークさは薄れるが利用者を拡大する道を選んだ。東方ユーザー層の支出の感覚値と一致したため広く薄い課金に成功し、結果として大きな売り上げを獲得できた。(もしかすると、CBの様子を見て低コストで安定売上を狙う方向に方針変更したのかな?)
あるいは、CBはボードゲームを選択した時点で利用者の絶対数が伸びないことを予想し、最大に成功したときの売上比較の伸びが大きい少数に大量に課金してもらう方法を敢えてとったのかもしれない。少額を多数に課金してもらっても、利用者の絶対数が伸びないのであればじり貧になる。かけたコストや要求される利益を考慮した際に、低位安定のビジネスモデルを提案することができなかったという可能性もある。
まあ、おそらくは利用者数に関しての目論見を外したのでは、と思うが。

CBのキャラ周りの出来の良さや全般なゲームが良くできていると本当に思う。ただ同時に、どうにも売り上げが苦戦しているらしいという話を聞くにつけ、そりゃそうだろうなとも思う。
売上のための土台の違いをその上物の出来の違いで覆すことはとても難しいとは思うのだが、CBには頑張って欲しいなぁ。

 

備考:
(細かく言うと言葉の使い方として、最近のCBやロスワなどはソシャゲーじゃなくてスマホゲーというのが妥当だと思う。およびそれらゲームの分類にもっと適した言葉もあると思われる。けれどまあ、ソシャゲという言葉を使うと基本プレイ無料で課金型の主にスマホ向けゲームという意味で通じるので、使い分けの厳密性は気にしない方向で)

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感想:無添加はかえって危ない

無添加はかえって危ない
著:有路昌彦  日経BPコンサルティング発行、日経BPマーケティング発売

 単純化すれば、無添加は安全という主張に科学的根拠はない。無添加食品への嗜好はマッチポンプによるものだというもの。実際として皆が皆イメージでだけ語っていて、科学的に正しいかどうかの知識を持ち得ていない。
 特に、たとえば保存料の使用による保存期間の長期化によって食中毒リスクと食品廃棄を減らせるという利益を正しく理解していない。単に人工の化学薬品だからという忌避である。科学的正しさをまずはちゃんと見ましょうという書。

 また、現在の無添加食品ブームはマッチポンプの結果であり、消費者は損をしているのだという主張が根底にある。恐れなくて良いものを恐れ、3割ものプレミアムを無添加食品に支払っているのだという主張。無添加が安全であると主張している人間がいたらマッチポンプを疑えということ。

 教訓的には、使って安全であると伝えるだけでは不十分で、安全でありメリット(ベネフィット)があるのだと同時に伝えなければバイアスはなかなか解消されないと示されている。ただ安全であるとだけ伝えられた場合、それによって100万分の1でも何か危険性が上がるのであればそれは避けたほうがよいと考える。安全であり利益もあると伝えられると人は初めて考えるようになる。

 これは人間の動物的本能でもあり、安全という情報は聞き流すが危険という情報には反応する。そのため、大丈夫であるということは第一だが、使用を認めてもらうには利益も同時に提供する必要がある。

 この本は食品添加物への誤解への言及と同時に、どのような言動に人は騙されるのか、どれだけ人はリスクの理解ができないか、どうしてそういう社会なのかへも言及した、人間理解の本でもある。出版の時期もあろうが、放射性物質狂乱騒ぎへの暗喩(いっそ直喩の域か)とも読み取れる。おおよそ同じ理屈が人に、メディアに働いているのだろうと思える。

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読んだり読まなかったり

 感想を書いたり書かなかったり。年末年始に本を10冊読むぜーを達成し、最近には積みっぱなしだった憎悪の世紀を消化した。ただ憎悪の世紀は感想が書きづらい。心がえぐられる。あーそりゃユダヤへの迫害は狂気の象徴としていまだあちらでワンパ的に飽きるほどに使われるわけだと思う。ナチでドイツでが読む前のおおかたの印象だったが、とんでもないな。それは確か、だがそれ以外、ドイツより東のどこであっても起こっていた。しかも、ほんのちょっと前までは多民族が融和していたその場所で。やるせない。血塗られた、昨日までの友人を殺戮する人間の歴史にとってもブルーで感想など書く気力がわかなかったのであった。

 また、まどかマギカ見続けていたり、進撃の巨人おもしろいなと思っていたり。でも感想は大抵ツイッターに簡単に投げて終わるからなー。

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自由からの逃走

 自由からの逃走 新版
 著:エーリッヒ・フロム 訳:日高六郎   東京創元社

 なにをきっかけとしたか忘れたが、長い積み本時代の後に読みきった本。どこかでの紹介で知って買ったと思うが、理由は覚えていない。ただ、タイトルと作者の国と時代とに興味をひかれたのは確かと思う。民主主義の制度においてヒットラーが選ばれたということはよく言われる話。そのことについて何か説明として書かれているのではないかという期待。また現代の日本における政治への無関心と放棄へ繋がる何かがあるのでは?といった期待。その動機がこの自由からの逃走という本を読み進める動機となった。

 説明としてこの本はルター派、カルバン派の時代まで遡る。当時の社会と当時のプロテスタントの教義自体が自由からの逃走を肯定していたのだという分析を述べる。その後、歴史や社会分析からフロイト派の心理分析に重みが移っていく。サドとマゾ(権威主義的)からナチの社会説明に至るのは、部分としてはわかるがすべてかと受け入れるのは難しい。ただ、個人の心理から社会を分析する姿勢は、特にその必要性については説得される。個人の心理から全体を説明するというスタイルのため、個人がつくる社会はともかく、社会に対する個人の反応に関してはわかりやすく頷きやすい。サドマゾにおける相手への依存と一体化が、下層階級個人の社会組織への一体化の説明となり、ヒットラーに対する国外からの批難に対し反ヒトラー者であっても反発という流れは実に説得力がある。

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理性の限界

 理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性
 著:高橋昌一郎   講談社現代新書

 選択の限界、科学の限界、知識の限界について述べている。大雑把におそらくは誤解を含んだ理解で言えば、選択の限界とは、どんな選択の仕方(例えば選挙)にも矛盾が生じえて、真の選考順序(支持率)の反映にはならないことを示す。科学の限界とは量子力学における観測(と物質に対する現在の人間の認識の仕方)の限界を示す。知識の限界は、人が定義した事柄の範囲内では絶対に証明できないが正しいことがらが絶対に存在し、すべての事柄の正しさや誤りを決定することは出来ないといったことを示す。

 特に読んだ後に選挙があった関係で、選択の限界の印象が強く残っている。どんな選挙方式であっても、観測できない真の正しい意見の反映には成り得ない可能性を持つ。したがって、むしろ選挙方式こそが、どのような人物を選ぶかの一つの意思表示になっているのだという指摘はおもしろい。

P.66

 実社会の多くの選挙で「単記投票方式」や「上位二者決選投票方式」が用いられているのは、やはり当選者に強いリーダーシップが求められていることが理由だと考えられます。
 一方、学会の理事や審議会の委員など、さまざまな分野の専門家集団で複数の代表者を選出するような場合には、「順位評点方式」が用いられていますね。「勝ち抜き決選投票方式」は、企業の商品開発のように、弱い商品が脱落していく中で勝ち残る商品を選ぶような場合に用いられています。「総当り投票方式」も、あらゆるサンプルとの一騎打ちに勝てる最も将来性のある一つの商品を選出するような場合に効果を発揮します。

P.100-101

 実はチキンゲームは、人間社会に非常に広範囲に見られる利害関係に関するモデルなのです。
 もし相手が走り続けると知っていたら、こちらの最善策は避けることしかありません。ところが、こちらが走り続ければ、相手の最善策も避けるしかないのです。
-中略-
 つまりだね、チキンゲームに勝つのは「最高にイカれたヤツ」なんだよ。
-中略-
 要するに、自分は絶対に避けないことを相手に知らせて、相手が避けざるをえないようにする「捨て身」の戦術ですね。これは、最も非合理な戦略が、実は最も合理的な戦略になっているとも言えるのかな……。

 科学の限界については量子力学の講義の復習的な部分があり、特に印象に残らない。講義では解釈の部分は触れられず、どのように計算するかに偏るから知らないこともあって興味深かったが。知識の限界もより一般論でありそんなには。上記引用にもあるように、選択の限界について、予想外であって新鮮で印象に残ったようだ。

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東方幻想画報 参

 少々今更感はあるが、とらのあなの東方幻想画報参を買った。それで、さて自身の絵の好みはどんなもんだろうと記録してみようと思い立った。ということで傍迷惑にtwitterに連投したものをこちらにコピペし記録とする。


P.4 森近霖之助 絵師:いにゅっち 変態でもイケメンでもない、ギャグっぽくないこーりん。なんとなく根暗っぽさを感じてイメージに合う。

P.5 上白沢慧音(人間) 絵師:だいん こういうタッチは好きだな。墨っぽいの。少し幼い顔で、理知的で巨乳でオトナという印象を与える絵ではない。それもまた好み。

P.9 紅美鈴 絵師:きんたろ なんとなく。なんだろう。巨乳じゃないから?すらりとしたという形容が合う。

P.16 西行寺幽々子 絵師:やすゆき 手が短すぎて足が長すぎね?でもいいね。とぼけたような、見通しているような。そんなイメージでどこかが脳内で一致。

P.21 因幡てゐ 絵師:綾見ちは ぴんくなろりうさぎ。微妙な表情の選択が、ろりばばあで一癖も二癖もある感でよし。あと素足。

P.46 古明地こいし 絵師:An2A 原作絵っぽい印象。なんとなく見ていて不安になるのは身体のパーツのバランスへの違和感かも。しかし、なんとなくイメージにはまる。

P.52 封獣ぬえ 絵師:黒兎(Kurot) えろい。絶対領域。ふとももすりすりしたい。胸元のリボンがいいよねぇ。

P.53 綿月豊姫 絵師:藍・Hallejujah 桃姫。とよちゃんちゅっちゅ。淡い感じのも好みに入る。ただ、この桃はいまいち桃に見えないな。おっぱいまんじゅうとかクッションとかそんな感じに見える。

P.65 ルーミア 絵師:草野ほうき もしかしたら、今回の一番のお気に入りかもしれない。少なくともキャラ単体ではトップにこれだ感。完璧な脳内イメージとの一致。幼過ぎず、EXルーミアのような過度の強さへの期待の反映がない。すばらしい。

P.91 紅い月に瀟洒な従者を 絵師:千葉サドル 咲夜さんふとももえろい。霊夢の顔と咲夜さんと視線が安定せず、絵を観ている目線が揺れ動く。主役が並列で交互に動くのが少し嫌な感じ。しかしわずかに咲夜さんのふとももの魅力が上回った。

P.105 雲の上の桜花結界 絵師:ろんど 最初にパラ見したときは残らなかった。でもなにかリリカに惹かれる。キーボードの湾曲がなぜか気に入った。こういう強調も好きかも。あとルナサのふともも。

P.107 彼の世に嬢の亡骸 絵師:やすゆき ふつくしい。。。とでもコメントするだろう感じ。幽々子は桜があうなー。頭のドリキャスがないのもまたキレイで儚い印象に貢献か?

P.108 妖怪の式の式 絵師:TOKIAME TOKIAMEの絵が好きだから補正はある。霊夢の顔の造形だけ見ればそうではない。ただ、服装と景色の桜、エフェクトが好み。

P.109 妖怪の式の式 絵師:樹人 表情がいい。橙の天真爛漫、魔理沙の不敵さ、いいね。

P.117 水の原型 絵師:燐 パチュリーとアリスだから。だけではなく、やはりこういったタッチがなにか好みに触れるな。パチュリー周りの髪の流れ、水をイメージ?の水色の線がいいね。対するアリスのスカートのなびきもいい。ブーツと黒ストッキングでふとももが垣間見えてとてもいい。

P.132 五つの難題 絵師:両神了 圧倒的に大きく、輪郭が不明瞭ながら大きな存在感を示す月を従えた輝夜。手に持つ蓬莱の玉の枝?が蛍光で存在を示し、主役が月でなく輝夜であることを主張する。カリスマ感じるとはこういうことか。いいね。

P.143 チルノ vs 幽香 絵師:9時 ゆうかりんがチルノの首をもぎとる3秒前と見える。バトルでも血が流れているわけでもない静かで穏やかな光景。姿勢だけで見れば仲睦まじい記念写真とさえ見える。ただ、あ、これチルノ死ぬなとしか思えない。不安にし想像させる。すごいね。

P.180 地獄のラブリービジター 絵師:meola 目に留まる。異な絵としての存在感。輪郭の弾ける霊夢の後姿の印象。おもしろい。

P.211 東方三月精 絵師:閏月戈 ルナチャイルド。ぺどい。いや、ロリかな。パーツがとてもよい相乗効果。月夜に金髪ドリルの幼女がぬいぐるみたくさんの部屋のベッドにぬいぐるみを抱きしめ口元を隠しながら座っている。帽子も服装もロリロリしい。金髪ロリ記号の一つの完成形。

P.216 東方儚月抄 絵師:藍・Hallejujah ゆかりんど・げ・ざの場面を美しくな感じに。その時その場面の豊姫と紫の関係をうまく再構成に思える。場の捉え方がおもしろく、きれいだね。豊姫ドロワか。それによって場面に集中できるがふともも見えたほうが嬉しいようなうーん。


終了。およそ10%が気に入ったというところか。ぬえとルーミアの単体絵、月を従えた輝夜、ど・げ・ざな紫と豊姫。この辺りが気分によって気に入ったトップを争う形かな。

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感想:桐咲キセキのキセキ 著:ろくごまるに

 桐咲キセキのキセキ
 著:ろくごまるに 絵:渡会 けいじ  GA文庫

 なんとろくごではないか!
 ということで、発売に気づいたときには既に10月だったような読み終わったのはしばらく積んで熟成させた末の今日だったような。そんな過程あれどとまれろくごまるにの新刊を読み終わり。

 表紙からしてチェーンソーぶん回す少女と少年の話なんかなと思ったらそんなの序章だけでしたよ。描写と会話がまさにろくごであってろくごの香り。完全シリアスな詰めの話かと肩に力入ったらすかされる。ついつい頭を使わされてしまう一方でとぼけた会話が楽しい。なんと普通っぽい少年と少女が主役でもしや過去の光景の少女はキミなのではになって甘酸っぱくなんてありえるのですか、異能でもSFでもなく身体能力と頓知なバトルで突き進むのかいなとテンションだだあがり。

 んが、最後ではちょいとノーマルから逸脱。悪魔ってのがただの言葉じゃなくて普通でない世界に突入とは思わなんだ。それでも駆け引きとテンポはあいかわらず。もしや隠された能力覚醒でばーんなんてありふれた、しかしろくごがやると天地がひっくり返りそうな展開があるのやもともやもやしたがそんなことはなかった。理由と理屈が楽しいのぜ。

 さて、露骨に語られない存在たちのために世界がまだ確定してなくてこの物語と世界をとらえ切れないが、一つはっきりしていることもある。封仙でないろくごを読んで自分は楽しめるだろうかと不安多量であったが、杞憂として吹き飛ばされた。大丈夫。以後もろくごを追っていける。

 そうだ。イラストについても。挿絵は文体と会話の気の抜けようとしては合っているけれど、緊張感としてはいまいちあってないかもねと思ったな。ただ最後の一枚のような場面はいい感じ。かわいいとも凛々しいとも美人とも表現に合う言葉が浮かばないが、あの一枚と表紙はいいねと思った。男とあとはバトルのような緊張感はまだ、あっているという感はいまいちかなというところ。

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