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創造する無意識 C.G.ユング

想像する無意識 ユングの文芸論  C.G.ユング  平凡社ライブラリー

買ったのはかなり前のような気がする。
一月ほどまえから寝る前用の本として読み始めて今日読み終わり。
そのため感想や考えも後半部の印象にかなり偏っていると思われる。

サブタイトルをうけ、芸術的なものの解釈の例といったものが並ぶかと
思ったがそうではなかった。無意識と意識への言及は興味深く、
自身の経験もそういった面からの視点による方法論を肯定するものがあり、
おもしろい。睡眠導入剤として読んでおきながらなにを言うかではあるが。
それをおいても、完全な理解はどころか大まかな把握でさえ怪しいとも思う。

とまれ、以下内容を受けて考えたことめも。引用というか、
作中に述べられていることがかなり含まれている。
そのままではないが、かなり。

意識と無意識の間の関係は自己と他者との関係に似ている。
無意識の声を聞き、判断する能力は他者の声を聞き、判断する能力に似ている。
人は自身の道徳的、哲学的、知的判断基準を他者の声に入れてしまうと
その段階で主観的な捉え方しかできなくなる。

他人の意見を理解できないとはこれであって、まず自身の価値観で
主観的に色づけしてしまうがゆえに内容の吟味に入れない。
吟味以前に受け入れないという判断をしてしまっていることである。
これは外側の他者に対して起こることであるが、内側の他者である
無意識への意識からの反応も似たようなものである。


抜粋
P.52

心理学者はつねに、自説がまず何よりも自分自身の主観に含まれるものの
表出であり、したがってそのまま一般に妥当するかのように
言い立ててはならないことを銘記しなければならない。

解説からだが、
P.197

芸術は~中略~まったく独自の価値基準をもっている。
(略)
作品の高下を量るのは、享受する人間の、積み重ねられた教養と、
研ぎ澄まされた趣味嗜好に支えられた感受と共振の能力であって、
そうした鑑賞力に耐えうる作品を産み出そうとするのが
創る者の努力にほかならず、その努力と修練を省いて、
無意識から濡れ手に粟つかみ出そうとする砂金採りが、
子供の創作を例外として成功したためしがない。

P.198

古い様式がとうに完成し、新しい様式がいまだ生まれてきていない時代は、
現在がまさにそれなのだが、創造力が衰え弛緩した時期であって、
間然するところがない作品ほど人の心を撃たなくなる。
「非の打ち所のないものがつまらない」、これがこの段階に至った芸術の、
そればかりかこの時代そのものの表徴である。


>「非の打ち所のないものがつまらない」
まったく同じ事を2chのライトノベル板で言われているのを見た記憶がある。
類似の例としておもしろいかもしれない。

ユングの年表が付随していたのだが、若いときに関しての記述からは
この人は普通の人間ではないのではないかと思えてならない。
後半になるに従って一般的な(つまらない、普通な)事柄になるのだが。

抜粋
P.169

一八七九 ― 四歳
最初の記憶に残る夢、地下の黄金の玉座に据えられた巨大な男根の夢を見る。

P.170-171

一八八七年 ― 十二歳
―最初の記憶に残る幻視―バーゼル大聖堂の屋根に、はるか上空の玉座に座った神が
排泄物を落としてこれを粉みじんに砕く。

それとも当時はこういう映像を見るのが一般的だったのだろうか。

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