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影の現象学  著:河合隼雄

影の現象学   河合隼雄    講談社学術文庫

人の意識のありようを考える時、これはとても興味深い。頷ける。
しかし解釈や視点の問題として参考にしても、
素人療法を実践しないようには自戒したい。

この本にユング(派)の文芸論とつけられても納得したようにも思う。
あくまでも影というものの説明のために臨床の場での経験を
そのままでは書くわけにいかないから使われたという面を
持っているにせよ、架空の物語から現実の人にとって普遍の
様相を描き出し示してみせるさまは見事だと思う。

個人の行動や演劇・小説などに見られる行動の分析が
一般の分析、夢や影への言及につながる。
個人にあらわれる事柄が演劇などにもあらわれていることであり
それは影の問題の表象でもあるという流れが、
物語と現実との境界を感じさせない自然な言及で物語の分析として
読んでもおもしろい。

影として、無意識としての二つ。個人的無意識と普遍的無意識。
普遍的無意識は人類が一般に表層から押し込んでいるものであるゆえに
それはいわゆる悪と同意に見える。
個人的無意識は選ばれなかった性質が存在している場所ともいえるのか。
夢にあらわれる対立した自分でないのに自分である存在は
選択しなかった、しかし自分の中にある自分の像。
それとの接触、受容、変化が成長にもイニシエーションにもなるか。

しかし影との接触は覚悟と時期が必要となる。
選ばなかった存在との対峙は、それを自分が選ばなかった理由が
あるのだから、そちらに呑まれる危険が常にある。


…感想の後半はもう覚書メモ状態だ。


以下抜粋

P.49 他者への個人的影の投影。

このとき大切なことは、Xに対して強い悪感情を抱いたとき、
自分の個人的影を越えて、普遍的な影まで投影しがちになるということである。

P.57 このページは覚えておきたい

つまり、集団の影をすべていけにえの羊に押しつけてしまい、
自分たちはあくまでも正しい人間として行動するのである。
家族の中で、学級の中で、会社の中で、いけにえの羊はよく発生する。
それは多数のものが、誰かの犠牲の上にたって安易に幸福を
手に入れる方法であるからである。無意識な程度のひどい人は、
そのうえ、このいけにえの羊の存在によって集団の幸福が乱されていると、
本気に感じている。そしてその実は、その羊の存在によって自分たちの
安価な幸福があがなわれていることには、まったく気づかないのである。

ナチスの例に典型的に見られるように、為政者が自分たちに向けられる
民衆の攻撃を避けようとして、外部のどこかに影の肩代わりをさせることが
よくある。ここでもすでに述べたような普遍的な影の投影が始まり、
ある国民や、ある文化が悪そのものであるかのような錯覚を
抱くようなことになってくる。
そして冷たい戦争によっていがみあうことにもなるが、
ユングがいみじくも指摘しているように、
「鉄のカーテンの向こう側から西側の人に歯をむいているのは、
自分自身の邪悪な影の顔なのである」。
自分の影を自分のものとして自覚することは難しいことである。

P.130

人々は自分の考え及ばないことはこの世に存在しないと確信する。

P.227

実際、忠告によってのみ人が変わるのなら、心理療法家などという
職業は不要かもしれない。

P.298

特に個人的な影を問題にすると、それはその本人にとっては受け入れるのが
辛いので、ほとんど悪と同等なほどに感じられているが、
他人の目から見るとむしろ望ましいと感じられるものさえある。

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