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善悪の彼岸   著:ニーチェ

善悪の彼岸   著:ニーチェ  訳:木場深定  岩波文庫

(本を読むと口調や文章の語り口がその本の文体に大きく
 影響されるということがしばしば起こる。
 なんか、今回の文章はそんな感じがあるような。)

睡眠導入効果はかなり高い。体調と箇所がうまく適合すれば
さあ読もうとページを開いただけで眠気が襲ってくる。

そんな読み方だから本の形式が散文であることに助けられたが、
何を脈絡ないこと言い出してるのかと戸惑いも生じた。
そも睡眠導入剤として読んでたからまともななことはいえないが。

とまれ、善悪の彼岸と力への意思という言葉を脳裏に刻んでおけば
とりあえずはいいや。

P.13において

諸価値の反対物を信仰することである

と批判しているように、ある価値がそれと正反対のものからは
発生し得ないという考えに対する疑問。
善なる行動はすべて善なる起源を持つのだろうか?
悪なる行動はすべて悪である何かから発生するという“信仰”への批判。

P.210での以下の言葉

或る者にとって正当なことが、全くなお他の者にとって正当なことではありえない

この観点からすれば、行動の起源もまた正しいということを
信じることができるのだろうかとさらに考えてしまう。

もう一つ、力への意思という言葉。これはけっこういろんなところに
出てきた言葉なんだが、結局別の言葉で再解釈できなかった。
その言葉の出てくる箇所でいろいろ思いはあったのだが。

次に読むことがあるのなら解説から読もう。

P.276

一つの種族が発生し、一つの類型が固定し強くなるのは、本質的に同じ
不利な諸条件との長い戦いのもとにおいてである。

この文章以下その節から思うところがいろいろとあったのだが、
結局思うといってもそれは推察に対する同意でしかなかった。

この本においては特に、抜粋することの意味のなさを感じずにはいられない。
その言葉はその文脈のなかにあるゆえの意味をもっていて、
その意味ゆえに抜粋しようと思われたのだ。
それが、その文章だけを抜き出したとき、果たしてマークしようと思ったときと
同じ意味のままでありえるだろうか。
かといって内容すべてを覚えることの出来ない身としては
何らかのチェックをつけておきたい欲求を否定はできない。
全文を書き写すのはなんか違うというか本を常に手元においとけというか。

以下抜粋など

P.13 メモ:善なるものはすべて必ず善なるものに起源をもつのだろうか?

形而上学者たちの根本信仰は諸価値の反対物を信仰することである。

P.120 どこかで見た言葉
怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。
そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。

P.156 メモ:畜群道徳について、民主主義の結果によるその道徳に対して
今日では、何が善であり、何が悪であるかは「知られて」いる。

P.210
或る者にとって正当なことが、全くなお他の者にとって正当なことでは
ありえないということ、一つの道徳を万人に対して要求するのは
まさに高級な人間に対する侵害であるということ、要するに、
人間と人間との間には一つの位階秩序があり、従って道徳と道徳との
間にもそれが存するということについて、知りもせず嗅ぎつけもしないのだ。

P.269
主人道徳と奴隷道徳とが存在する。

P.276 節262をチェック
一つの種族が発生し、一つの類型が固定し強くなるのは、本質的に同じ
不利な諸条件との長い戦いのもとにおいてである。

(対して、豊かな元では変化が起こりやすく、奇異なものに富む)
P.298 節283をチェック
およそ賞賛しようとして、自分と一致しない場合にだけ常に賞賛するとなれば、
それは一つの洗練されていると同時に高貴な自己抑制である。

「彼は私を称賛する。それ故に彼は私を是認しているのだ」
―このような愚劣な推論は、われわれ隠遁者の半生を駄目にする。

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