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海の仙人からいろいろ思ったりなんだり

いろいろと思い出したりなんだりもしたので海の仙人の感想と別エントリに。

というか、海の仙人の、小学生のとき姉と近親相姦でこちらが襲われた形なのに
相手は自分にレイプされたと感じてるという設定がなんだこれだったなぁ。
主人公の孤独を出すため?セックスレスな関係を持たせるため?
富士ミスあたりで出てたらこれをもって地雷扱いじゃないのかなと思ったり。
というかその設定に出くわしたとき自分の中では
地雷扱いのカウントダウン始まりかけた。すぐにカウント止まったけれど。


それでまた、海の仙人の解説にあったのだが、

二十世紀は、文学をはじめとする表現の世界に性的な要素が大胆に導入された時代であった。性的な関係だけが、人間の絆だとするような風潮もあり、現在の日本の小説もその潮流から抜け出ていない。

なるほどなと。

個人的に性的な要素に対しては、小説では多少忌避する傾向がある。
というか小学生でシドニィ・シェルダンの真夜中は別の顔を読んだのがトラウマ。
あの一般小説の皮をかぶったポルノ小説を読んで以降、
セックスシーンありの小説はエロを入れなければ売れないようなくず小説だと
思った時期があったり。なんでいきなりそんなの読んだのかと思うけれど、
だってシドニィ・シェルダンは新聞に一面広告ででかでか名前でてたから、
どんなにおもしろいのかととりあえず一冊適当に手にとってみたらあれだったし。
さらに選択の運と見極めが悪かったのだろうけれど、
一時期一般小説読むとなんかほぼ必ずセックスシーンがあって。
偏見がどんどん成長してしまった。

対してライトノベルでは(初期も今もやってるのも転がっているけれど)物語に
やるやらないが必須でないのがよかった。
いまだ主人公orヒロインがレイプ未遂か過去にレイプだったりを
必須にしてんじゃないかというところもあるけれど、
一冊に必ず濡れ場を入れるというお約束は感じられなく、
恋愛すら入ってないのだってある。
それがリハビリというか逃避先としてよかった。
(一般にだってあるけれど、適当に買ったときの割合の体感の差があった)

小説でライトノベルばかり選択するようになったのはそういう経験からの
面もあるなー。ライトノベル多く読むとその情報もチェックするようになって
さらに多く読むようになって、という流れもできたし。

今は好みとして残ってる程度で、それほどにこだわらなくなったが。

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