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エコロジーの歴史

 エコロジーの歴史
 著:パトリック・マターニュ 訳:門脇仁  緑風出版

 エコロジーの訳って生態学だったんだ。
 環境に絡んだ自然に優しいとかそういう方向の意味を持つ言葉だと思ってたし、そう使ってたな。

 17章:物質とエネルギーの流れ、以降はなかなか興味がわいた。しかし正直なところ、それまでの部分は睡眠導入レベル中といったところ。歴史の授業に眠い眠いと言っていた友人の言葉をいまさらに理解。流れに興味を持てなければ人名がひたすらに羅列されるものでしかないわけだ。そりゃ確かに眠い。
 発展のしかた、形になり学問になるまでの経過やいわゆる専門家のみの寄与によって発達したわけではないということもわかる丁寧な記述は、他との類似としてみるとなかなかおもしろみがある。しかしその見方のみではエコロジーの歴史である意味がなく。歴史に対してはほぼ常にそういう見方とおもしろみがあるわけで。

 まったく、読めばいいというものではないんじゃないかと自省。
 こうなった理由。
 この文章の一番最初に書いたことが大きいか。つまり、エコロジーの歴史というタイトルを見て、環境問題への自然保護などといった方向で、環境・自然への向かい方がどのように変遷していったかという内容だろうと踏んで手に取ったことが大きいのだろう。しかし、エコロジー=生態学であって、そして生態学方向に興味がないわけではなかったが知っている言葉が少なかった。知っている人物が殆ど出てこなかった。目がすべりまくり、かな。
 17章くらいになると知っている言葉が増えてきて睡眠導入剤ではなくなった。


引用
P.210

つまり、市民の姿勢と科学者の姿勢とのあいだで生じる緊張と矛盾は、同じ1人の人間のなかで結びつく可能性があるのです。
 結局、この研究者が結論として述べたことのひとつは、次のような考察でした。「社会の選択が科学的な真実と一致する必要はない」。

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