« 東方SS読んだ きまぐれあくま、そわそわちしきじん。ほか | トップページ | Tarte消滅? »

SNSがどうたらと

日本のSNS利用はもう限界なのか

利用の形についての考察がおもしろいです。
他国との比較も興味深い。

SNS利用してないけれど、触発されて、
関係あるのかないのかな以前からの考えを↓にづらづらと。

そもそもなぜSNSの加入者が増えたのか、その理由にはつながりのほかに、おもしろいから、知りたい情報があったから、というのがあるのではないか。つまるところ、おもしろいページや見たいページがSNSの中にあったから、だから加入したという流れ。友人その他とつながりを持ちたい作りたいという理由ではなく。

この場合、入った当初は盛んにいろんなページを見てまわるが、一通り探し回ってしまえば動機が薄くなり、行動は限定的になる。
インターネットの世界に初めて触れた場合の行動と変わりがない。初めはすべてが新しく、見たいものやおもしろいものにあふれているが、そのうちにそういったものが少なくなり、行動が狭まってくる。

したがって、加入者の伸びが鈍くなれば、新規の加入者によっていわば水増しされていた利用時間が落ち着いてくる。そしてまた、SNSの加入者がいつか頭打ちになるのは当然なこと。よって、伸びが鈍くなり利用時間も減少傾向という事態は、いつか当然に起こるはずだった出来事に過ぎない。

見るべきは使われ方。
コミュニティ・つながり感を下にしたユーザー同士のやりとりがどのように発展し、受け入れられているか。または衰退し拒絶されているか。

全世界に公開されるブログと違い、自分の居心地のいいコミュニティを作れ、その中だけに言葉をだせることのメリットを利用できないのなら、SNSだから、という価値は薄まる。
結局SNSの中で公開された情報でSNSの加入者全員に見れるような情報は、普通のブログに書かれる情報と大差ない。そうでなければSNSの意味がない(特にミクシィくらい母数が大きい場合。ただし、加入条件自体が厳しく人少ないのなら普通のブログと大差ある)。

したがって、閲覧を目的にSNSに加入したのに、目的のものを見れないという事態も生じる(というか、本来SNSはそういう目的も持つ)。
よって、つながりを目的としないユーザーがそこにとどまる意味は薄い(どころか、加入したのに結局みれないと反感も生まれる、かも)。


そのためSNSの提供側からすると、規模の拡大を狙う時、ユーザーにSNSの公開制限機能を積極的に使われては規模の拡大がしにくい。しかし、その機能がなければSNSの魅力もまた発揮しにくい。
だから、拡大を目指す場合はプラスアルファの提供に尽力するか、または第二のより有限なweb空間を作り出すかになる。

後者の場合は、SNSなので安全です、よりプライベートな日記や情報、友達とのやりとりを書き込んで利用してくださいと宣伝するが、公開度の利用にはなるべく触れない。いろんな人がいて、それゆえ悪意ある人も必ず存在することにはなるべく触れず、安全でプライベートな情報も書き込めるという雰囲気を作る。そして提供側が実際に安全な空間となるように巡回と警戒活動を積極的に行う。

もっとも、この形は規模が大きくなりすぎれば有効に働くか疑問だが。


尻切れとんぼで車輪の再発明な気がするけれどこの辺で終わり。
日本でのSNSの使われ方とブログの使われ方の類似や情報発信がどうのこうのにも行きたかったがぐだぐだ過ぎてまとまらない。

|

« 東方SS読んだ きまぐれあくま、そわそわちしきじん。ほか | トップページ | Tarte消滅? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: SNSがどうたらと:

« 東方SS読んだ きまぐれあくま、そわそわちしきじん。ほか | トップページ | Tarte消滅? »