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才能ある人間は努力しないという錯覚

 才能ある人間に努力でならんで追い越す、というのが現実にも架空にも物語としてうけるものだけれど、そういう物語をみるたびに抱く疑問がある。当事者ではなく周囲で眺める人間(特に当事者から距離が離れるほど。まあ架空の場合は当事者と距離の近い人間はいないようなものだが。)に対してなのだが、努力しているのは才能に欠けているほうだけとでもいいたげな態度をとることがあるのはなぜか、ということだ。才能ある人間は努力していないというのだろうか?

 世の中さまざまで、実際に才能ある人間がまったく努力しないというのもある。ほんとの天才の場合や、運動会の競争程度で努力しようとしない場合とか。しかし、本気の競争の場に挑んでいる場合、その当事者達が努力しないなんてことがあるだろうか?(ほんとの天才という例外は面倒だから除いて考える)
 競争しようという連中はいずれも努力をしていて、その上に才能による差が生じるのではないか。その差を理解するからこそ、才能がないと自覚する人間はより努力をして差を取り戻そうとする。でもこのことは才能ある人間が努力しないことにつながるはずがない。そして差を詰めようと努力してる間に才能ある人間はさらに先へ進むための努力をしてたりするものだ。

 まあ、そういった才能ある人間には永遠に追いつけないかのような思いを抱くからこそ、努力する人間によって打倒されるべき存在として才能ある人間が描かれがちなのだろうけれど。でもそういった才能ある人間との差が存在するからこそ、先端の競争ではほんとうに才能のない人間はもはや存在せず、同等に才能ある人間が才能のない人間より努力している世界になっているのではなかろうか。だから、その世界の人間誰に対しても、努力をせず才能だけで生きているかのような扱いをするのは失礼であって、そしてなにより勘違いじゃないかと思うのだ。そこにいる人間は誰もが努力を重ねてそこに到達していて、そして誰もが(差はあれど)才能を持っていると思うのだ。


 努力しないでやっていける天才もいるけどね。いくら努力しても才能には勝てないところとか、努力で超えられない才能の差が存在するところとかもある。やっていける、という意味でなら才能の問題ではなくなったりもするし。

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