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おもしろかったからはまった

 一度読んだものを読み返す、というのはまあよくよくやるわけです。今回はなにやら東方が活発だねぇと思いつつ東方文花帖を読み返していたらスレイヤーズのことが頭に浮かんだ。

 文花帖を読み返していたら神主がインタビューで

あれらが革命的だったのは、システム云々以前に、ゲームの持っている雰囲気自体が言葉にしがたいところで違っていたんですよ。後から「システムがこう革命的だった」「キャラクターがこう魅力的だった」と、個別に指摘できますけど、当時はそんな理屈を考えながら遊んでいないし、それが理由で流行る訳でもない。

といってたのです。買った当初にも読んでいた文章だけれど、読み返して同じ事はゲーム以外にもあてはまるなと思った(神主のその言葉で意図していたこととはずれもあるだろうけれど)。

 ライトノベル含め小説に関して、自分のなかで何個かそういう明らかに「違う」と感じたものがある。その一つにスレイヤーズがある。明らかに違っていて、間違いなく当時の自分にとってものすごくおもしろかった。ちょっと前くらいになぜスレがあれだけ流行ったかというのがいろいろ言われていたけれど、今からすれば大したことないとか、はまってた過去を否定したがってる文章とかがけっこう目について、なぜこの人たちはそんなことを言ってるのだろうと不思議でならなかった(何個か見て以降はそういった文章を見ないようにしていたので情報偏ってるかも。というより、どこかで他のだれかが同じこといってるだろう)。単純に、読んだ当時おもしろいと思ったから過去にはまったんだろう、どうして当時の自身の「おもしろい」という体験を否定するのか。そこまで卑下して切り捨てようとするのだろうと。

 感覚は違ってくるものだし、今読み返したらそんなでもないということは当然に起こりえる。でも、当時おもしろいと思ったこと、それは否定するようなものだろうか。また、当時売れたのは他にそういうのがなかったからだというのも目にした。それもあるだろう。でも、つまらないものがあれだけ売れるだろうか。あれだけ人気になるだろうか。結局その当時多数におもしろいと思われたから、だからあの結果なのではないだろうか。そして今振り返って理由を探すような人はその当時におもしろいと思って読んでいた人ではないだろうか。しかしその当時に、理屈をもってみていただろうか。おもしろいと思った、それが一番大きいのではないか。スレが当時の読者にもたらしたおもしろさ、それが過小評価されてるように思えてならなかった。

 今からさまざまに理屈づけをするのもおもしろいと思うしどんな理由がでるかと興味があった。しかし、当時おもしろいと思ったことを否定されるような空気に触れてしまい、その話題が嫌になってしまった。その自分の反応がなぜなのか、というのが冒頭の引用部読んでるときに頭に落ちてきたのでした。

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