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〈悪口〉という文化

 〈悪口〉という文化  著:山本幸司  平凡社

P.10

 しかし悪口が社会の中で、いつでも否定的な存在だったかというと、そうとは限らない。人類社会の歴史を繙いてみると、多くの社会では悪口というものに、一定の社会的役割が与えられていた。それは特定の時間的枠内であったり、あるいは空間的限定がつけられていたりという留保を伴った場合が多いが、一概に悪口を排除する文化は案外少ないのである。相対的に言えば、近代文化の成立以降、悪口が社会の片隅や日陰に追いやられるようになったという傾向性は指摘できるだろう。
 ではなぜ、近代以前の社会で悪口がそのような地位を占めることができたのか、また悪口は社会にとってどのような意味を持っていたのか。それを問うことが本書の狙いである。

 期待していたのは最近の傾向とより絡めたものだったので若干方向が違ったのだけれど、十分興味深い内容だった。人類の知恵や文化としての悪口というもの、それが日本の鎌倉時代ほどを中心として掘り起こされているのがおもしろい。

 共同体における問題解決機能、現在の司法・警察体制以前の警察的役割と共同体として在るための問題調整としての悪口の役割といったことが資料をもって示され、単に悪口はだめといった見方を越えた興味深い視点がある。

 また、日本だけでなく世界の様々なところに悪口を言い合うことによって共同体を保つという仕組みがあるのは、悪口の単純でなさと共同体生活において衝突が避けられないものであり、その解決が単純でないと考えさせられる。

 ことに名誉と絡んでいるのがおもしろい。鎌倉や江戸の武士の社会に限らず、世界中で共同体内の名誉が重んじられ、名誉に関する悪口や名誉に関しての争いがあるということが、人間の共同体の在り方を考えさせる。

 実例や資料としてつい最近まで続いていた祭りや現在も続いているものも扱っているが、主に過去を見ているもので、分析は当然だが言及も現在へはあまり触れることがない。悪口についてをこの視点でもって現在や未来の集団のあり方を見るものがあってもよさそうで、社会変化した現在における過去とのつながりや変化・断絶というものを考えるのはなにかおもしろそうに感じる。↓のみを判断として現在社会をみるのもまたおもしろそうだ。
P.73

一般に人々が何かについて不承認だということを、もっとも強力に公的に表現する形態は嘲弄であり、それが集団によって行われるということは、集団としての共同体の意志を表していることになるからである。

 ずいぶん前から金と時間があれば買って読もうと思っていたのだけれど、ようやくに買って、ようやくに読み。期待していたのとは少々異なっていたけれど、悪口に視点を置き、悪いものと排除せずに捉えるというのがやはり興味深く、結果としてはまあまあに満足。

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