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明るい部屋の謎

 明るい部屋の謎  写真と無意識   著:セルジュ・ティスロン  訳:青山勝  人文書院

 フランスの精神科医、精神分析家による書。タイトルがまた別の「明るい部屋」という本とかぶさっていて、その内容に被せた構成でもあるのだけれど、それ抜きになかなか興味深い内容だった。写真というものそれだけでなく、それをとるという行為、焼付けの作業やあとで見ることもふくめて論じる。写真家についてもだが、一般的な人間の写真を撮るという行為について述べる。

 写真はかつてそれがその姿で存在していた証明となる。しかしそれはその物理的姿があることの証明であって、内面や感情といったものは実際に写っている人間にしかわからない。けれど、写真のかつての姿を保存するという機能は内面も写真に現れるとおりであったと思い込ませる力がある。その時期を通してどのようであったかに関わらず、その写された一瞬でその時期・時間すべてを判断させる力がある。ゆえに、例えば不仲の家族であっても幸せそうに見えるある一場面だけしか写真として残らなければ記憶は美化されうるし、忙しく移動するだけの観光地旅行であっても、各地でとった写真があればそれだけで充実した旅行であったと美化されうる。というより、そういった記憶の美化のために写真がとられる。

 写真はかつてそのときの場面の保存だけでなく、かつてそのときの感情の保存である、という主張。そして、その感情の保存は写真に写っているそのままだけでなく記憶を操作するものでもある、という主張。したがって、できあがった写真を“見る”ことで写真は完成される(とはいえあとでみることなく写真を取ったという行動だけでも満足は存在する)。

 また、写真をみるときも選択が働き、見たいものが写っているもの、被写体はそうあるべきと見る人が意識的に無意識的に考えているものが成功した写真であり、そうでないものは失敗した、うまくとれてない写真となる。

つまり、P.168からの引用で

しかし、ヴァカンスの写真の目的は、ヴァカンスが現実にどのようなものであったかという証拠を残すところにあるのではない。それは、家族の存在をその固有の特徴(アイデンティティ)において正当化してくれる客観的な表象の集合を創り出すためのものなのである。だからこそ、人は家族写真のなかでいつも微笑んでいるのだ。

 こういった写真をとるという一つにおいても、見たいものしか見(え)ない人間の一般的行動が現れたり、撮影するという行動や写真を通してかつての感情をみることになるなどといったことが述べられていて、ごく身近なものをとらえる別視点として新鮮でおもしろかった。

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