« さらにちょっと満足 | トップページ | ひなたぼっこ(Tarte) 感想 »

実はうだうだ愚痴ってるだけです

 相手はどうもXというものがよくわかってないんじゃないかと感じたとき、
A:わかってないみたいだな。それじゃだめだ。(とだけいって突き放す)
B:何で勉強した?この本は読んだ?
という二つの選択肢のうちどっちがいいかとなったら、Bだよなぁ。突き放して相手の自助努力だけで、というのは人を成長させるのにどこまで有用か。相手の程度によると言ってしまえばそれまでだが、何から学べば、というところには積極的に介入してもいいのではないか。

 初学者は知りたいことが何に書かれているか、難易の程度、教科書の良し悪しがわからない。だから、教育し人を育てるなら、それを学ぶならこれが参考になるということを示せる、何につまづいているか把握し手助けを(相手によってはなにもいわず放置することも選択肢の一つだろうが)することができる、という二つは欲しい。

 インターネットの発達は初学者だろうがかなりの程度を自分で解決できるようにしてはいるが、膨大な情報の中でどれがとっつきやすく理解しやすいかの案内ができるのならばそれに越したことはないと思うし、というかそれは紙の情報のなかでどれがわかりやすいか提示するのと何もかわらない(紙とネットの区別は100年後にはなくなるとも思うが。むしろ逆転して区別がつくか。とまれ今はまだ紙にしか書かれてないことが多すぎる)。それともネットの場合はそのなかの歩き方か。つまり資料の探し方と等しいか。探し方を教えて、どうもうまくいってないようだというときに手をだすか出さないか、と問題が変わるのか?

 高速道路とその先の渋滞ではあるけれど、教習所で道路の走り方と渋滞への対策を得られれば比較すれば若干スムーズに先へ進めるんじゃないか。教育機関の役目はつまりそれ、ともいえるのではないか。最終的に自分で歩けるようにすることであって、その状態にたどり着くまでどの程度の補助をすべきかということなのか。中間状態にある相手に対してどの程度まで手を差し出すべきか。

 く、隣の芝は青いということなんだろーなーと同時に強く思いはするけれどさ、思ってはしまう。自分で得るからこそとか単に受身すぎるだけとかバカなのが悪いとも思うけれど、なんか違いがショックだ。

|

« さらにちょっと満足 | トップページ | ひなたぼっこ(Tarte) 感想 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 実はうだうだ愚痴ってるだけです:

« さらにちょっと満足 | トップページ | ひなたぼっこ(Tarte) 感想 »