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人間集団における人望の研究

 人間集団における人望の研究―二人以上の部下を持つ人のために  著:山本七平  詳伝社黄金文庫

 人は環境と伝統に否応なく縛られるということか、という感想になった。環境は育つ環境というつもりでつかっているが、それさえも伝統のもとにあるといえば伝統に吸収されるか。しかし、その伝統が受け継がれていない、あえて無視されているという場合もありえるわけで、となればやはり環境に縛られるというのも正しいか。Howto本の体裁なのかなという予想をある程度持っていたのだが、そういう書き方をしているという印象は持ちにくい。

 空気の研究ときっかけは似ているかもしれない。日本人の人間集団における絶対的でありながらその正体をはっきりとつかむことのできないものへの不思議から始まる。
P.16

「人徳」「人望」がそれほど絶対的な言葉なのに、さてその正体となると明らかでないのは、不思議である。そこで、その正体を追及するのが本書の目的

 おもに二つの古典(の内容の一部)をもとに人望や人徳を考えていく。朱子の近思録と旧約聖書。結局のところ人間集団において同じような概念は洋の東西問わずあったのは確かに不思議ではない。

 自分のなかで聖書(コーランや仏典でもいいが)への認識は最大のベストセラー小説というもので、それさえも支配者にとって都合がいい“教え”となる物語がおさめられているからその立場になりえているのだという、話す人を間違えれば殺されかねない考えでいるのだけれど、その認識に多少の備考を付け加えるべきかと思った。

 たとえその理由のもとであっても、人間集団における常に最大の問題なりえる人間同士の問題に関しての長い長い年月をかけた考察がその人気を支えるひとつの理由になりえている可能性がある。文明となりえたのが浅い歴史であっても、人間が集団で暮らし始めた時から数えるのならば聖書などが書かれた時代には十分に人間集団における問題の経験が積み重なっていたたはずである。人間同士の問題であるならば昔に書かれているからという理由で的外れにはなりにくい。古典として名前が残っているのなら、その当時だけでなく支持を受けた内容ととることもできるわけで、なおさらである。だとすれば古典をひもとき人間集団における問題を考えることにおかしさはない。

 伝統と伝統のもとでの常識、そして教育という事柄がなぜか一番に印象に残っている。人望のために心がけること、こういう行動をすべきという事柄もあるのだが、むしろそれをもってきた思考の流れ、取組のほうに気が向いた。


 しかし、我ながら感想文のつもりで書き始めてこの体裁でいいのかと思ってしまうな。でもまあいいか。読み始めたきっかけの一つに上司がくそみそに気に食わないというのがあったのだけれど、その感情の処理によっては自身も同類かそれ以下になる。考えるか。

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