« ヨスガノソラ (Sphere) 感想 | トップページ | そんなつもりはなかったのに »

世の中には正しいことが多すぎる

 というタイトルでもって、立場を変えてみればどのような事柄であっても正しさを認めることができるのだという自分自身の社会への認識をつらつらと書こうと考えていたのだけれど、うまくまとまらなかった。

 わかりやすいのは公務員や政治家の行動に対しての批判だけれど、正しさはあるのだよ。正しいから難しい。正しさの優先順位が立場によって異なること、正しいと思っても予算等の制約、人の感情によって行動が制限されること、これらでもってうまくいかない。アメリカの自動車会社救済か破産かってあっちこっちに話が飛ぶさまをみるとうなずける。

 なぜそんなバカなことをするのかと「こちら」が正しいと主張するとき、大概はその「こちら」の正しい行動は検討されて否定された後。だから、正しいことをできないやらないではなくて、違う正しさの基準で正しいことを行っているに過ぎない。だから難しいのだ。立場を変えて考えれば、どんな行動にもひとかけらの正しさは必ず見出すことができる。その正しさの評価基準の範囲が、今の自分だけか、数年後の家族の安泰か、数十年先の国家の在り方かというほどまでにぶれが存在するために、正しい行動は幅がある。

 そんな正しいことだらけのなかでは、どんな行動を行っても必ず不平はでる。それだけでなく不利益を被る人もでる。だから、政治の場では強い指導者への要望が生まれる。正しいことを行い、それによって生じる不利益はしょうがないことだと説得し、見えなくしてくれる指導者だ。批判は受けず、(一見)誰からも尊敬を受け、行動は必ず正しく庶民の味方である、そんな指導者。現在のような社会では絶対にありえないのだけれどね。けれど、そういう指導者がどうも日本でも望まれてるような気がするなぁと、ロシアを笑えない状況になってきたような気がするなと思ったのだ。この政治家蔑視、国家公務員蔑視の状況はなんなのだ。無限の正しさの基準のなかであがいてなんとかベターを模索するしかない状況下にある連中への、自身を棚にあげた蔑視がひどくないかと思えてならない。批判の存在は当然だが、どうも種類の違う言葉が混ざってるように思えてならない。

 最後の文章は飛躍がひどいと思う。
 この文章全体は、論理だけですむ社会であっても将来の不確定性によって困難が生じるのに、そこに人の感情による評価が入ればさらに複雑になるってだけではあるのだが、まったくかけ離れてるな、うん。

|

« ヨスガノソラ (Sphere) 感想 | トップページ | そんなつもりはなかったのに »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 世の中には正しいことが多すぎる:

« ヨスガノソラ (Sphere) 感想 | トップページ | そんなつもりはなかったのに »