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日記:秋田にはアゴラ広場というのがあってだね

 アゴラという言葉が古代ギリシャで広場という意味(場所?)を指していたのだとか。なわけで、アゴラ広場って広場広場かいなというやりとりがときどき発生するのです。自分の周りだけかもしれませんが。もしくは市場広場か。こちらなら意味が通らなくもないかな。

 さて、ネット上にもアゴラというのができて、どんなもんだろうと公開以来RSSに放り込んでほぼ全部興味深く読んでました。複数の人が固めの記事を投稿するというだけでけっこうおもしろく、内容もまた知ったか程度の知識でなんとかついていける。昨今の情勢もあろうけれど、話題が経済(学)中心となりがちであるのには知識不足を感じて苦しくなりがちでしたが。

 しかし懸念も一つあって、議論の形になるのかなと。または対立した意見というものを見ることができるのかなと。初期は形式的な反論や緩やかな別意見提示での反論の見せ掛けくらいで、内容としておもしろい場所だけれどもう一つ欲しいなと思っていたのです。それが最近ソフトバンクの新採用制度に関して云々ということでわかりやすく2つの立場からの意見となった。これでもう、楽しみになった。もうちょっと時間経てばさらにわかりやすく2つの立場に分かれた意見が出てくるようになるかなと期待しちゃった。

 で、そのアゴラの記事を相手が読んでることを前提とした、相手が既に自分と同じ記事を読んだと仮定した身勝手な感想を付け加えるとですね、、勝手に総括して逃げるのはなぁ、と(ソフトバンク問題の「総括」 - 米重克洋)。だいたいが反論(ゲームの行為はゲームのルールに言及してはならない~ソフトバンクの危機---安冨歩)としての着目点に対していまいち答えてないよね。要は、自分はよいと思う、のごり押し。それじゃ議論になんてならないしおもしろみもない。

 また、社会として新しい試みを潰すのかという問いかけは一つあからさまに無視していることがある。反論の人の着目点の一つでもあるのだが、既存の暗黙のルールではなく明確なルール、労働とその対価に関してを無視している。なぜ潰されるかのような事態になるかといえば(新社会人に贈る言葉は、「まず実践」。 - 菅野敦也)それが新しいからではなく、破ってはいけないルールに抵触しているのではと疑われているからだ。そのルールは既存のしかし古いからといって破ってよいものではなく、これからもずっとルールとして存在し続けるだろうルールだ。

 そういった点を無視し、可能性を与えられたとかまず実践とかメールをコピペした学生への非難とかを持ち出す。少々、感情のままに、自分の意見が非難されたことを自分自身が非難されたと勘違いしてやないかな。自分の意見を守ることに一所懸命に思えるよ。なによりひどいのが、メールをコピペした学生への非難を始めることだ。マナー違反しているから何も言うなってか?内部告発者の言葉には価値がないとでもいうのか?

 そんなわけがない。
 しかし、このひどいことも人の見極めには役に立つ。反論を受けたときに「他にも悪いやつがいるじゃないか」と言い出すやつにはなるべく近寄らないほうがよい。大抵嫌な思いをする。ま、そういう人に限って近寄らざるをえない立場に上り詰めたりもするんですが。

 ともあれ、これは意外に楽しいところになるのかも、ということを最近のアゴラの流れに思ったのでしたということです。この記事のタイトルのセンスもまた大変に残念だなと思っていたりします。

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