« 日記:秋田にはアゴラ広場というのがあってだね | トップページ | 日記:風邪ひいた »

日記:情報に対する扱いの変化の途上にいるのかも

 今までの時代の情報は所詮管理できるものであった。量としては今と同じと見てもよいと思う。しかし、その情報を扱う手段が限られていたために、結果として情報は管理できるものであった。

 現在は、というか主にネットによって、情報が次第に管理できないものへと変質してきたのではないか。一昔前と情報量は実は大差ないと思うのです。しかし、表に出すことができる情報量が飛躍的に増えた。一昔前は地理的にまたは立場的に限られた人たちの内部で完結していた情報が、現代では垣根が取り払われてそこらに氾濫するようになった。結果として存在する情報の絶対量には大差なくとも、人一人が触れることのできる情報の絶対量が増えた。この情報量の増加は人一人の管理能力をとっくにこえ、それどころか企業など組織としての管理能力を脅かすまでになってきてるのではないか、情報が管理できないものへと変質してきた、というのはどうだろう。

 まあ実際問題としてはまだまだ組織として取り組めば情報を管理できる、十分に手の内で扱える状態かなと思いますが、グーグルのストリートビューに関しての記事や反発やを眺めていたらそういうことを思い始めたのです。情報を管理できない時代の情報の取り扱いの常識は今までとは少し異なるんじゃないか、今は情報を管理できるとする常識と管理できないとする常識の衝突が起こっているのではないか、とかね。

 いや、手段の発達に伴う情報量の増加を見込んでいない点が甘い?今衝突が起きているとする認識はもはや時代遅れ?もう一つ、情報の管理という言葉を曖昧に、都合よく使っている気がする。処理能力と被った使い方と、本来の管理と。


 今日はなんとなくこういうことを考えた日。

|

« 日記:秋田にはアゴラ広場というのがあってだね | トップページ | 日記:風邪ひいた »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日記:情報に対する扱いの変化の途上にいるのかも:

« 日記:秋田にはアゴラ広場というのがあってだね | トップページ | 日記:風邪ひいた »