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創造はシステムである 「失敗学」から「創造学」へ

 創造はシステムである 「失敗学」から「創造学」へ
 著:中尾 政之  角川oneテーマ21

 創造においても、分類してみればある程度カタチが定まっている、というのが最大の気づきだろうか。
 また、初めの章における、要求や思いを具体的な言葉に、具体的にどのような行動をするかに落とし込む、という要求達成のための行動は「具体的な」行動に結びつく知識としてうれしい。

 目的の具体的事例より抽象一般化することで一般的な解決手段と対応させ、さらに一般的な解決手段を個別の具体的手段に持ってくるといった手法が通用することにも人の行動の蓄積の強大さを感じる。

 創造はまったくの新しいことをまったく前例のないことから生み出すことではなく、類型化された手段によってできること。また、創造は特異なことでもなく、普段の生活や仕事のちょっとした行動においても必要とされること、その場合に使える具体的な手法の紹介を行っている。いま創造したいという欲求がある場合にもだが、仕事がどうもうまくいかないという場合にも助けになる内容ではなかろうか。というか、使いたいなぁ。これはとりいれやすいし、例がまさにというのけっこう感じたし。


 あわせて、モジュラー、インテグレイテッドとして、独立パーツの集まりと個々が干渉した集まりとして日本社会および企業の分析にも向かっている。将来向かう先に高機能、高付加価値のインテグレイテッドを目指せってのは、まあそうなんだろうなと思うのだが、しかしイノベーションのジレンマを思い出してしまった。日本社会全体が高機能高付加価値高コストに進んでいるのなら、国として全部ひっくり返されるときがいずれくるのか、内部で破壊が起きるのか。
 技術の強みを生かした高機能側に向かわざるを得ないが、既存の漸進でしかないならその方向は先細りだしなぁ。いや、既に安定期に入って住み分けが完了し変化のない部分と、破壊が進むものとがあるのだろうか。

 変な方向に向かったのでこのあたりで書くのやめ。

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