« しかしながら貼り | トップページ | 日記:ついに »

金玉と物語について雑感(東方)

 ここ最近に実に漢臭いSSが創想話にあるわけだが、
東方・黄金の金玉   謝々
これの感想を書きたくなってしまった。内容を考えるとまあ当然のごとく批判コメが存在するわけだが、輪をかけて当然のごとく批判コメが存在するだろーなーという最新作で4作目、
東方・アリスマーガトロイドという男  謝々
を読み終わった後に
実用書『物語工学論』でカットされた賀東×新城特別対談の中盤盛り上がり、どーんと一挙無料公開! - 散歩男爵 Baron de Flaneur (Art Plod版)
を読み、この内容と批判コメとが頭のなかに残り、ちょっと整理してみようと想った。

 さてまずこの金玉話、インパクトがすばらしい。タイトルの吸引力に劣らず内容に破壊力があり、キャラクターの絵がガチムチに汗臭くすっぱく熱苦しく想像されるのにびみょうに元キャラの印象と被るのが笑えてくる。性別が男に反転してる、ネタというかなんというか。

 一発ネタかと思いきやそれが4作目となり、その漢臭い状態でアリマリになったわけですな。いわゆる2次創作で見られる百合カップルが801になったわけです。。。百合ならありなのに男男(たぶん、絵的には漢漢だな)だとこうもきついのかとしみじみ。

 でもまあ、おもしろいからいいやと思いつつ、少し考えた。金玉について感想を書きたくなった。
 どこで読んだか忘れたが、昔に男女でやってたのを女女でやったらなぜか嬉しがられる、というのが最近の流れというのを読んだ。アニメ関連だったか?で、これはそれをさらにパロって男男にしたとも、元が女女だから単にパロってという風にもとらえられる。

 だから、単に性別を男にしてそこらにあるテンプレートをそのままやっているだけでしょ、という批判は的を射ている。しかし、それは実は創想話のSSの多くに成り立つ批判ではないか。つまり、男女の話のテンプレートをどちらも東方キャラにして(または百合にして)SSにしているのは、けっこうあるよね、という。でも他の話や特に百合話では言われないよね。つまり、それでよい、ってわけだ。
(ところで、百合を許容するなら801も許容せざるを得ないなという境地にはなかなかなるものではないんでしょうかね。またはその逆に、801で腐ってるなら百合もありだろうという状態に。そもパロはやりすぎるとおもしろくないのであれですが、百合だの801だの、どちらか一方を好むなら他方を好まなくとも受容は容易だろうと考えるのだけれども。ナマモノにはまだその境地にいま一歩届かないが。)

 閑話休題。
 さてこのテンプレートに絡んで3つ目のリンクが関連してくる。物語に対する需要ではなく、キャラクターに対する需要のみが存在するのではないか、そちらに向かっているという認識。物語のテンプレートに様々なキャラクターを当てはめればそれでよいのではないか。テンプレートすらいらない。物語などまったく要らない、という状態に消費者は偏ってきているという認識。(リンク先で語られているのはこちらか。)

 東方の同人を大量消費している身として、自分はどちらかと考える。
 まず東方の受け入れ方を見ると、確かにその通りであってキャラクターに対する需要で成り立つ世界になっていると感じる。大量の2次創作はキャラクターの消費の要求が元にあると見てまったくの間違いではないはず。また、同人特にSSとしてストーリーが大量に存在することは、逆説的にキャラクターだけあればよいことを示してはいないか。

 物語を求め、一つの確たるストーリー、主としてのストーリーに満足するという形があるのではないか。しかしながら、描かれない日常、あるかもしれない出来事を求めるのはなぜか、大量に存在するのはなぜか。2次設定のほうが有名になるのはなぜか。根本となるものが、主となるものがストーリーではなく設定になっているのか?しかしこれは話を作りやすくはなっても、なぜ創るのかには応えない、と思う。2次の「物語」が大量にはあるのは、なぜか。それは物語への欲求なのか?

 こいさといいなとかゆかてんがここまでくるとはとかゆうぱるの感想書くにはまずあれの感想書かなくてはとか思うのはなぜか。これは物語への需要の結果なのだろうか。キャラクターへの需要ではないか。それらは元の物語にはない。キャラクターを求めていないか。そも、2次創作を求めている段階で、オリジナルの物語ではなく、キャラクターを求めているということではないか。

 勘違いされては困るから付け加えておくが、創想話の物語がテンプレートに沿ったものだとかそういう話ではない。自身が、物語を欲して創想話に行っていたつもりで、自分はどうも物語依存症だなと思っていたのに、それは本当に物語を欲しての行動なのか、キャラクターを欲しての行動なのかという疑問なのだ。

 ここまで考えて、しかしまあその通りだなー、キャラクター消費に偏ってるんだなと納得せざるを得なくなった。物語を求めて創想話に行っているとなお主張するが、しかしならばなぜ創想話かといえば東方のキャラクターの消費のためだ。それはつまり、キャラクター消費が先にあることを否定できない。

 なにも金玉をタネにこんな文章書かなくてもよいではないかと思うが、しかしだからこそではある。

|

« しかしながら貼り | トップページ | 日記:ついに »

同人感想(東方以外)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 金玉と物語について雑感(東方):

« しかしながら貼り | トップページ | 日記:ついに »