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日記:儚月抄の文章はいつでるのだろう

 精神的に余裕がないので時間的な余裕はあるけれど更新がまったく途絶えるのではないだろうかと考えてみる。余裕がないときにすがるものがここの更新ではないのだろう。前は本を読むことやクーリエいってSS読むのが逃避先だと考えていたが、どうも最近はニコニコ動画ばかりのようだ。

 ところで、東方儚月抄の文章のほうはいつ出るのだろうと、東方wiki行ってスケジュールに書いてないかなーと眺めてみたらイベントの数の多さに笑ってしまった。いやすごい。毎週どこかで開催ってのに届こうかって勢いじゃないか。小説版の発売日は見当たらなかったけれど。んー、東方キャラの、そしてまた幻想郷の設定を楽しむ点で小説版がでないのは東方儚月抄を楽しむに片手落ちだと思うのだがなー。単体で出すには薄すぎるのも確かではあるが、なんとかならないものか。

 儚月抄はおいといて、イベントについて。ここしばらくネガティブ思考に陥っている自分としては、何件かは失敗とか参加者からの不満爆発とかこれだから東方厨はと一部の人が喜ぶような事態になるのかなと考えた。細かなトラブルは絶対に出て、もうやるなという声だって出ると思う。だから、どう対応して経験値ためれるかになるかなと。

 ただ、同時に、その不満が次の改善につながるのなら全体としてはありになるかなとも。東方という入り口はともあれ、同人やイベントごとを知る人が増えるのは状況の認知が広がる意味でよいのかもなとね。でも東方がある意味普通になりすぎて、同人という枠の理解に寄与するに異質になりすぎているかもしれない。同人じゃなくて、東方というくくりでだけ理解されるようになっているのなら、「全体としてあり」というのは、はまらなくなってしまう。


 それはまたさておき、自分は最近SSも同人誌も触れる時間が少なくなってしまっているので同意にも否定にも躊躇するけれど、


実際、新作になればなるほど、関係性だけでストーリが作れないのかエロ同人が多くなっているし、古参の人は相変わらず「三部作」の方ばかり描いている。

今更だけどBLUE DROPってマンガが超面白かった (適応係数17)
というのはなんとなく気になる。どうなんだろう。「関係性だけで」というのは頷くところで、東方同人はいまそこにあるキャラクター間の関係が(少なくとも量的に)一番の料理の材料だなとは思っている。時間軸を入れて過去や未来を描く場合も、まずキャラクター間の関係を同人著者が確定して、それから始まってるなーと。幻想郷の設定、妖怪と人間、それら世界設定はあくまでおまけ。そこにあるのは、なんだかんだで人間同士の関係で、、という。自分自身の見方として、とあらためて一応逃げを打っておくけれどね。友人にSS書こう言われて、じゃあまずどのカップリングで行くか決めようかと返すような頭の人の見方。「キャラ」じゃねーのね。

 新作ほどエロ同人が多いのだろうか。見てる範囲がせいぜいクーリエだから、なんとも。新作も素直にだいたいいつもと同じような時間経過で量と内容の変化が起きてるよなーと9、10月くらいにざっくり思っていたくらいでそういう観察はなかったなー。同じようなというのは、自分の観察ではクーリエの場だと新作キャラの扱いは、とりあえずの登場、共通の理解に向けてこのキャラはこう扱ってもいいかどうかという手探り段階、設定に踏み込んでの物語という段階を感じるけれど、今回に限ってその段階を踏み外しているという感はなかった。

 ただ、ずっとその場にいる人間は緩やかな変化を感じることができない。だから、暫定かな。また、ニコニコ動画に入り浸っている割にそちらでどうかという考えが頭に浮かばないし。
 ところで自分はどうしてこういう文章を書くにいたったのか思い出せない。そしてまた、やはり本を読まなくなった影響があるように思えてならない。文章や言葉がなんか、いつも使っている言葉で固定されている感がある。むむ。

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