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日記:大なり小なり

 限定的な時事ネタ。

 ニコニコ動画の毎時見たらびっくりさ。東方で毎時に載る動画はたいがいチェックしてるので、一応クリック。うぷ主とおぼしきタグの名前に見覚えがなかったのだけれど、大百科で掲示板も眺めて、大体どの動画の人が扱われているか目処がついた。

 これからどう発展するかや、その動画自身はどうでもいいけれど、似たようなことはどこでも起こってるなーと(絵師への侮蔑発言やなりすましではなくてね、念のため)。大雑把に言ってしまえば動画投稿者と視聴者の問題だしね。いや、動画と限らないな。何か創った人、それを観る人の関係でのずーーーーっと続いてきた問題じゃねーかなと思う。

 創ったものへの言葉は褒め言葉だけじゃない。批判、指摘、または罵倒や貶しがある。批判のないところに成長もない、だったか、まあそんな言葉があるように、批判は実はありがたい。けれど、だからって批判を受け入れるには色々と余裕がいる。批判の言葉は大なり小なり人を傷つける。

 見る立場なんだから、何言ったっていいだろう、というのは間違いではない。きつい言葉があるから気づく、というのは確かにある。でも同時に、その言葉で人を殺すのも、作品を殺すこともある。もう辞めた、とか、嫌いになる程度ならありふれすぎていて気づけないくらいかも。

 では逆に、創った側の人が自己弁護することは、作品以外で言葉を発することは、どこまでありか?今回のはその問題の過激な一例じゃないかなー。百科の掲示板を眺める限り、弁護できないことが紛れ込んでいるから、問題が人格のほうか、動画と視聴者の普遍な問題か、どちらが大になるかわからないけれど。


 以下さらに自分用のメモ。以前に、ニコニコ動画に関してなにか感想書こうと思いつつメモだけして放っておいたものに次のがある。面倒なのでこの際に整形しないでそのままコピペすると、

感想
コメントを書き加えた時点でオリジナルが変質してしまうという問題。オリジナルの上にコメントが乗っているため、既存の媒体と違って、他者のコメントを無視して自分だけの解釈にこもることが難しい。オリジナルに立ち戻るとき、かならず他者の解釈が目に入ってしまう。
おもしろいと述べるのは難しい。おもしろいものにおもしろいという言葉を使わずにおもしろいと表現するのは難しい。しかし、つまらないことにつまらないという言葉を使わずに表現するのは簡単。おもしろいけれどここが、というコメントが100あればそれはあらしこめになる。
といったあたりか?

以上。これは視点が2つくらい混ざっている。およそ上半分はセリフなしな動画(3D東方なんかでよく、手書きでもたまに)を主眼に、一般の動画でのコメントによる他者の解釈を向いている。2、3回同じ動画を観にいったとき、コメントがあるとその都度自分の解釈が影響されて変わってしまう。浸れない。コメントがあるからおもしろい部分と、しかしコメントがあるから敬遠してしまう部分とについて。
残り半分は動画に限らず感想全般でそのまま。同時に見るという形態上、ニコニコ動画で顕著だけれど、昔2chでも同じようなことがあったなぁとなぜかしみじみと。

 今回のと関連しているのは後者。言葉を受けるのは創った側の一人に対し、言葉を発するのは万にだって届く。ネットのない時代は、映画にしろ紙媒体にしろなんにしろ、フィルタがあったと思う。けれど、ネットはそのフィルタを取り除いた。一人で万を相手にできる。これはとてつもないメリットで、けれど反作用も大きい。

 見る側見せる側として、この問題はしょうがない問題なのか?発信する側が多くの負担というのは当然だと思えて、しかし今はその負担が一方的すぎるように思う。でもどうしようもないのかなぁ、なんかなぁとうだうだが自身の現状。

 だから、いまなおyoutubeのほうが日本でもユーザー多いのかもなぁ(あまりに放言だが)。コメントあることによるメリットをどう評価するか。今回のはニコニコ動画のコメントのマイナスの部分が極端に現れたということじゃないかなと思う。

 あーしかし、だからどう、ということにつながらない。どうにもまとまらない。

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