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日記:包丁は殺人罪により死刑

 ついでに先のpgrな内容に対し、ちょうどいいので、アキバblogで読んだこの記事
【コラム・ネタ・お知らせ】 「パクりと模倣」論争にみるインターネットの公共性
読みながら、思ったこともメモしておこう。

 一言でまとめると、人の責任を道具の責任に転嫁すんなって思ったよ、というのを長々と。

 模倣とパクリから始まる言葉に、言ってることはまあその通りだよねーと。ただ一点、どうにも分からないことがある。この種の議論についていつも思うことだけれど、ネットを主流にできないとかならない理由として(広義にネットを批難するものとして)匿名でなんでもかんでも、特に悪辣な言葉を投げかけることができるからだめだ、という論がある。それが理解できない。

 だってねぇ、すごい(自身にとっては)空想上のドラマ的な映像で語るけれどさ、昭和的なセピアをかけた光景のもと井戸端で(いや、さすがに井戸はあれか、お茶してるでいいか)他人の噂話をしている奥さま方の姿と何が違うというの?当時は近場の人間しか基本参加できなかったから、奥様方の話題は場所としても時間としてもその場限り。しかしそのコミュニティでは「そういう目」が存在して陰口なりがやはりあったわけだ。その陰口はその井戸端コミュニティでしか存在できなかった。

 それが、ネットがあることで距離の制約がなくなる。ならば、井戸端はネット上に新たに作られ、話題にも距離の制約がなくなる(小さくなる、が適切か)わけじゃない。典型が2chだよね。鬼女板とまでは言わないけど。で、テレビだったりネット上の出来事だったり日々の生活相談だったり趣味だったりを距離を気にせず話すことができるわけだ。すごい便利でいい社会だ。ひきこもり気質な自分としてはなおさらにそう思う。しかし、ここでさらに、とある人の近場にその人にとって気にくわない、陰口叩く(叩きたい)ターゲットなんかいたとして、ネット上で井戸端と同じように話すことができるわけだ。そのターゲットを知らない人間にこいつはこんなやつで毎日唐揚げ弁当しか買わないとか書いたりする。それ読んだ人が同じように「陰口」叩くか、陰口叩いているほうを異常とみなして叩くかは別として。

 けれどね、この行動、井戸端で会議していたずっと前のネットないときの奥様方となにが違うというの?そこには特殊なことなんて何もない。ただ人が集まって話しているだけ。距離の制約がなくなっているだけ。人の行動としては何も変わっていない。そこにいるのは変わらず人だ。

 だから、ネットでの誹謗中傷云々に理解できない。現実でも井戸端で、または奥さま方や年よりがお茶のみしてるような場で誰かの陰口いったとしてさ、それはいったい何が違うというの?陰口言われている当人にしてみれば、何が違うの?ネットで探せば目に触れるからだめなの?本人が目に触れようもない、何言われたかもわからないお茶のみの場で言われるのはよいの?どっちにしろだれが言ったかはわかりようがない。どっちにしろ、行動に対してどこかの誰かが陰口を言うというのはどうしようもない。だって、残念なことにそれが人でしょう。聖人君子などどうしたってマイノリティだ。

 だから理解できない。ネットがあって変わったのは人じゃない、人をとりまく環境だ。もっとも大きな違和感は、ネット上の行動に対して、その行動がよい悪いなどと価値判断をつけられることだ。未成年に対して、ネットは距離の制約ないから云々というのはありだと思う。けれどさ、未成年にそういうこと言うのは、ネットのみじゃないよね。じゃあネットと切り離せば未成年は犯罪に巻き込まれない?んなわけがない。ネットは道具で人が手に入れた新しい環境でしかない。そこでの人の行動は、本質としては何も変わっちゃいないだろう。人の行動と性質が原因であるのに、ネットが原因であるかのようなすり替え、意識的か無意識かはともかく、それが気にくわない。

注:だから対策とか何もするなって話じゃないよ。すり替えんなって話。包丁を死罪にしましょうって話からなかなか先に進まないなーって。

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