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虐殺器官

 虐殺器官
 著:伊藤 計劃  ハヤカワ文庫JA

 虐殺器官というタイトルを見、そしてあらすじと帯の推薦文読んだときから興奮してしまった。内容について、この社会という存在自体を虐殺器官とみなすとはなんて社会に対して皮肉な、しかし否定できない視点であることかと。そんな中身への推測をもって読み始めたが、描かれる器官は自身の想像のさらに数段以上も掘り下げられた虐殺の器官だった。そもそもなぜそれが、、をさらに先に進めたものであった。なにがそれであるか、この話には見事に射ぬかれたぜ。けっこうにどんぱちでぐろかったりもするが。何がそれで、なぜ虐殺を起こしているのか、示された言葉に読み進める手が数秒とまるほどに、射ぬかれた。

 SFとして描かれる世界に生きる暗殺任務につく軍人による一人称であり(一人称がぼくというのがまたおもしろい)、さまざまに今はまだ到達しえない技術や装備が存在する。しかし、それらギミック自体やそれによって可能なことそれ自体が本質ではなく、人間とその社会自体をえぐり出すために使われている。人と作中世界ひいては今の世界を描くための道具であって道具それ自体を描くのが主ではない。このSF世界と道具の使われ具合が実に気持ち良い。解説にあった本人インタビューの、今現在の人間しか考えていないという言葉の実行具合が素晴らしい。この人間社会への観察は、波長があったのもあって、可能性を確かに突きつけてくると感じる。仮想の数十年先の未来を描きながら、しかしこれは今現在の人間社会だ。

  ついで、個人的な事柄だが、読んだタイミングとしてなかなかおもしろいときに読んだ。「思考と行動における言語」を読み終わったはいいがなにいってんだかようわかんねーなーと外在的と内在的と抽象段階とが片隅にくすぶり続けていたから、作中の会話がおもしろい。認識と言語に関する言葉を先に読んだ本の面からみなそうとする動きが頭の中にあった。外在と内在の例を突きつけられた感もあった。よいタイミングであった。

 この著者の作はもうこの世に増えないのだという事実が残念だ。

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