カテゴリー「本(小説以外)」の53件の投稿

感想:無添加はかえって危ない

無添加はかえって危ない
著:有路昌彦  日経BPコンサルティング発行、日経BPマーケティング発売

 単純化すれば、無添加は安全という主張に科学的根拠はない。無添加食品への嗜好はマッチポンプによるものだというもの。実際として皆が皆イメージでだけ語っていて、科学的に正しいかどうかの知識を持ち得ていない。
 特に、たとえば保存料の使用による保存期間の長期化によって食中毒リスクと食品廃棄を減らせるという利益を正しく理解していない。単に人工の化学薬品だからという忌避である。科学的正しさをまずはちゃんと見ましょうという書。

 また、現在の無添加食品ブームはマッチポンプの結果であり、消費者は損をしているのだという主張が根底にある。恐れなくて良いものを恐れ、3割ものプレミアムを無添加食品に支払っているのだという主張。無添加が安全であると主張している人間がいたらマッチポンプを疑えということ。

 教訓的には、使って安全であると伝えるだけでは不十分で、安全でありメリット(ベネフィット)があるのだと同時に伝えなければバイアスはなかなか解消されないと示されている。ただ安全であるとだけ伝えられた場合、それによって100万分の1でも何か危険性が上がるのであればそれは避けたほうがよいと考える。安全であり利益もあると伝えられると人は初めて考えるようになる。

 これは人間の動物的本能でもあり、安全という情報は聞き流すが危険という情報には反応する。そのため、大丈夫であるということは第一だが、使用を認めてもらうには利益も同時に提供する必要がある。

 この本は食品添加物への誤解への言及と同時に、どのような言動に人は騙されるのか、どれだけ人はリスクの理解ができないか、どうしてそういう社会なのかへも言及した、人間理解の本でもある。出版の時期もあろうが、放射性物質狂乱騒ぎへの暗喩(いっそ直喩の域か)とも読み取れる。おおよそ同じ理屈が人に、メディアに働いているのだろうと思える。

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自由からの逃走

 自由からの逃走 新版
 著:エーリッヒ・フロム 訳:日高六郎   東京創元社

 なにをきっかけとしたか忘れたが、長い積み本時代の後に読みきった本。どこかでの紹介で知って買ったと思うが、理由は覚えていない。ただ、タイトルと作者の国と時代とに興味をひかれたのは確かと思う。民主主義の制度においてヒットラーが選ばれたということはよく言われる話。そのことについて何か説明として書かれているのではないかという期待。また現代の日本における政治への無関心と放棄へ繋がる何かがあるのでは?といった期待。その動機がこの自由からの逃走という本を読み進める動機となった。

 説明としてこの本はルター派、カルバン派の時代まで遡る。当時の社会と当時のプロテスタントの教義自体が自由からの逃走を肯定していたのだという分析を述べる。その後、歴史や社会分析からフロイト派の心理分析に重みが移っていく。サドとマゾ(権威主義的)からナチの社会説明に至るのは、部分としてはわかるがすべてかと受け入れるのは難しい。ただ、個人の心理から社会を分析する姿勢は、特にその必要性については説得される。個人の心理から全体を説明するというスタイルのため、個人がつくる社会はともかく、社会に対する個人の反応に関してはわかりやすく頷きやすい。サドマゾにおける相手への依存と一体化が、下層階級個人の社会組織への一体化の説明となり、ヒットラーに対する国外からの批難に対し反ヒトラー者であっても反発という流れは実に説得力がある。

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理性の限界

 理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性
 著:高橋昌一郎   講談社現代新書

 選択の限界、科学の限界、知識の限界について述べている。大雑把におそらくは誤解を含んだ理解で言えば、選択の限界とは、どんな選択の仕方(例えば選挙)にも矛盾が生じえて、真の選考順序(支持率)の反映にはならないことを示す。科学の限界とは量子力学における観測(と物質に対する現在の人間の認識の仕方)の限界を示す。知識の限界は、人が定義した事柄の範囲内では絶対に証明できないが正しいことがらが絶対に存在し、すべての事柄の正しさや誤りを決定することは出来ないといったことを示す。

 特に読んだ後に選挙があった関係で、選択の限界の印象が強く残っている。どんな選挙方式であっても、観測できない真の正しい意見の反映には成り得ない可能性を持つ。したがって、むしろ選挙方式こそが、どのような人物を選ぶかの一つの意思表示になっているのだという指摘はおもしろい。

P.66

 実社会の多くの選挙で「単記投票方式」や「上位二者決選投票方式」が用いられているのは、やはり当選者に強いリーダーシップが求められていることが理由だと考えられます。
 一方、学会の理事や審議会の委員など、さまざまな分野の専門家集団で複数の代表者を選出するような場合には、「順位評点方式」が用いられていますね。「勝ち抜き決選投票方式」は、企業の商品開発のように、弱い商品が脱落していく中で勝ち残る商品を選ぶような場合に用いられています。「総当り投票方式」も、あらゆるサンプルとの一騎打ちに勝てる最も将来性のある一つの商品を選出するような場合に効果を発揮します。

P.100-101

 実はチキンゲームは、人間社会に非常に広範囲に見られる利害関係に関するモデルなのです。
 もし相手が走り続けると知っていたら、こちらの最善策は避けることしかありません。ところが、こちらが走り続ければ、相手の最善策も避けるしかないのです。
-中略-
 つまりだね、チキンゲームに勝つのは「最高にイカれたヤツ」なんだよ。
-中略-
 要するに、自分は絶対に避けないことを相手に知らせて、相手が避けざるをえないようにする「捨て身」の戦術ですね。これは、最も非合理な戦略が、実は最も合理的な戦略になっているとも言えるのかな……。

 科学の限界については量子力学の講義の復習的な部分があり、特に印象に残らない。講義では解釈の部分は触れられず、どのように計算するかに偏るから知らないこともあって興味深かったが。知識の限界もより一般論でありそんなには。上記引用にもあるように、選択の限界について、予想外であって新鮮で印象に残ったようだ。

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思考と行動における言語

 思考と行動における言語
 著:S.I.ハヤカワ 翻訳:大久保 忠利  岩波書店

 なんとも長期に寝落ちを繰り返しながら読んだために、なぜこの本を読もうと思ったかの動機の部分は既に忘れてしまった。ページとして前の部分の記憶もずいぶんと抜け落ちてしまっている。ただいくつか、それでも残っている部分が何箇所を下に羅列する。

・ 小説の種類について、事実によって感情を想起させるものと、感情を直接に言葉で指定するものと。娯楽小説から文学への段階。読者へ感情を伝える。
・ 記号と事実およびその対象物の実在とが同一ではないこと。けれどなお、記号によって示される事物一般について人は誤解しやすい。例えばある職や人種の人間誰しもに同じ型をはめて考えその人個人を見ない。
・ 感化的内包。言語はそれ自身で閉じてなく、言語によって抱くイメージを言葉自身に含んでいる。
・ 報告、推論、断定。事実と推論の違い、区別。重要なのは事実であって、しかし人はそれに色をつけ、事実ではなく推論と断定をより自然に受け入れ使いがち。
・ よくよく政治家という語で一緒くたにする。しかし、事実は政治家1、政治家2、、、、である。また同時に、主張と人柄とは別である。Aさんがaを述べたときに賛同するのならばBさんがaを述べても賛同するはずである。しかし、一部の人達はBさんが言ったからという理由でaという意見をまったく考慮せず受け入れない。
・ 抽象の段階。抽象の段階を意図的に上げた会話は、相手を煙にまくには使える。これは普段、自ら実行してされていることを意識する必要がある。
・ 前記号的使用。意味のない会話の理由。抜粋P.90「人はなんでもないことを話し合い、それによって友情を築きあげる。話の目的は(略)情報を伝達することではなく、親交の確立にある。(略)話題の選択(略)一致が直ちに得られる話題を注意して選ぶことである。(略)どんなに平凡なきまり切ったことであろうとも、新しい一致が得られるごとに、初対面の懸念と猜疑心は拭い去られ、友情の可能性が増す。」
・ 歴史と文学は教養のみにあるのではない。ある文化圏でのコミュニケーションの能率を高めるために必要な手段。
・ T.E.ヒューム 誰でもよく知っている事実だが、普通の人は事物をありのままに見るのでなく、ただある決まった型を見るだけだ。
・ 科学としての分類および真理と社会でのそれとの違い。社会では外在的な事実そのものではなく、個人および集団内での内在的事実で真理を決める。ただある意味科学と似ているのは、時代と集団によって真理が変わる。
・ 多値的考え方。ある行動に対し、なぜその行動をするに至ったかへの視点を忘れない。
・ ネズミの神経衰弱の実験と人の類似。最後、物事の選択に際して融通が全くなくなる。柔軟性も現状の分析で変化をみることせず、過去に行った行動をひたすらに繰り返すようになる。

 ただ少なくとも半分より後ろは、環境や組織など周辺環境などによって形作られた自身のなかのイメージではなく、常に事実を見ることを意識せよという主張の繰り返しに思える。人がどれだけ言葉を内在的なイメージで語り、言葉に含まれる一般化したイメージで判断し、それを当然とした世界で生きているか。それによってどれだけ他人にコントロールされて事実を見ない存在であるか。繰り返し繰り返し、例を変えて述べられ続けているように思う。

 コミュニケーションとしての一致をもって安心を得るための言語、感化的内包として言葉に含まれるイメージの利用、感情を創造するという小説の目的、記号に踊らされず事実をみろという例。まとめをまとめると印象はこんなかな。またそのうち、思い立ったように読み直したいものだ。


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感想:フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

 フリー ~〈無料〉からお金を生みだす新戦略
 クリス・アンダーソン (著), 小林弘人(監修・解説) (監修), 高橋則明 (翻訳)

 クリス・アンダーソン氏著書『フリー』全文を発売前に無料公開 (CNET Japan)
で見つけたので読んでみた。この文章を打つたびに横で微振動を起こしている積み本タワーがあるというのに。しかし、これがつまりは無料の効力、とも言えるかもしれない。また、フリーに対し、自由、無料という二つの意味で捉えようとするあたりにこの本の意図がかなりあると言ってもよいかもしれない。

 無料でありながらどこで儲けるかという点では、無料の製品といっても、結局どこかでは金を取る。それがどこか、という点。無料にした(海賊版含む)効果で潜在顧客のパイを増やして、それでどこかで金を取る。どこ、というのが、まあ、ものによる。このあたりは、特に斬新ってわけではない。最近のweb関係で無料ビジネスが流行って見えるけれど、実はずいぶん昔からその手法はずっと使われてきた(ひげそりの替刃とかゼリーの売り出しの初期とか)という歴史は、いまが特異ではないという説得になっておもしろい。web上での無料に対しては、広告だけではなく、フリーミアムとか言われている、一部の有料版で儲けるスタイルが必要というのに大体の結論が向かっているのかな?ニコニコ動画のプレミアムのような。

 基本として、無料であることの心理的効果とかそんなんで人を集めて、特にwebは一気に人を集めることができるから、一部の人の支払いでまかなえる、とかそんなんか。無料によって評判と注目という別の価値を高めることができ、それが最終的に現金になって(無料にしない場合より大きくなって)返ってくる。だから、短期的ではなく、トータルでみればフリーな商売も十分成り立つのだ、歴史も実は長いのだと解説する。利益を得る場と、利益に結びつく何かを集める場を別に分離しているのだ、ともまとめることができるのかな。でもって、この無料化の流れも必然だ、とも。

 ただ、率直にいって、どうもうさんくささを禁じえない。一部の例は、最初から大きなパイだとか、今の無料にするということが注目を集める時代というのに依拠していないかとか疑念がある。他にも例えば後半のフリーに対するよくある質問への皮肉交えた回答のなかで、紙媒体のコストに関して議論しているときに、もっとも重要な、その記事の中身の作成にかかるコストを計算に入れない、とするのはどうしてだろう。その点が最も重要であって、無視できない点だろう。webでの公開において記事の制作に関わる人件費以外はほとんどタダに等しくなる、だから無料が成り立つ、という言葉では同意できない。それにMSの話は独占による、それを使わなくてはならないという強制もある、とか言っている。なのにそれとピザ屋の話を同列に並べて同じだと説得するのは、どうも詐欺っぽく思える。

 なーんか、うまくはぐらかされている気が、どうしてもぬぐえない。だいたいの部分で同意できてうなずいて感心するけれど、細かな部分で正直ではないという印象を受けてしまう。特に最後あたりのQ&A。評価の軸をすりかえて答えているように感じてしまう。金銭的にどうこうという質問に、評価と注目という新たな価値を得ているのだというのは、それはちょっとすりかえでないか。結局、現金としての儲けまでに間接的な経路が一つ入る、というだけとも言いたいのだろうが。なんかな。結びで、不況に突入でweb企業にとって、最後どこかの大きな企業に買収されるという将来が厳しくなった結果、評判と注目が現金に換わるメカニズムがなくなったとか言ってしまっている。なのに、結び以前の文章で評価と注目という価値に重きを置いているあたりも、なんかな。いや、一つの基準ですべての業界や商売見れる単純なものではないとわかるけれどさ。

 
 などと疑問と不満を言いつつも、現状を再認識するという点でかなりわかりやすいと思った。人(消費者)は稀少さしか理解できない。持っていないものによって突き動かされている。など、人の心理や経済などと無料化を絡めているのも、無料につられる心情というあたりに特に、説得を感じる。


 ところで、今はある意味、情報としてのモノがあふれている社会といえる。だから、物理的なものがあふれ出した時代に、その時代の微分を試みて考察した本の言葉は、今の時代の物理的でないものがあふれる時代にも、同じか、または物理的なものへの考察の正しさ分が加味された、説得力を持つんじゃないか。
 なんかそのあたりの哲学書探してみるのもおもしろいかな?

 あと、東方なんかもこのフリーってやつの例だな。目に触れる機会がとても多いがゆえに、その周辺で利益を得る機会が多い状況になっている。それで考えると、イベントの価値は単に金銭的だけでなく存在してもよいわけだから、あれだけイベントの数が多い理由にもつながりえる?

 そういえば、ニコニコ動画でひろゆきは、モノやサービスを受け取る当人ではなくて、モノやサービスを生み出し提供する当人から金を取ろうって発想をどこかで言っていたような気がする。この視点、おもしろいよね。たぶん、生放送がそうなっていると思うけれど、5%の枠を超えるかもしれない。

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椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!

 椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!
 著:酒巻久  祥伝社黄金文庫

 いつか、この本だったか発言だったかが物議をかもしていたような記憶がある。というわけで中古本で見かけたので興味本位で買ってみた。

 興味としては、1つにはタイトルの言葉のあげあしとったろうと思って、2つには社長がどうやって自分の意思の通りに下を動かせるのだろうかという方法論への興味。

 実務家だなというか、奇麗事言わない人だなってのがおおよその感想。経営の実績ではない部分、立つことによる健康云々とか、はどうなんだろうって疑問がある。また、営業でのとり方にしても、きれいも汚いもないって部分をちょっと顕にしてしまっている。言葉も口語に近く、良くも悪くも読みやすい。

 ただ、言っていること、やっていることは間違ってないなーって思う。やり方がねちっこいなーとは思うけれど、例えばタイトルの椅子をなくすってのは部下が自主的にやったこと。それが生産効率に反映したという実績でもって社内に広げたわけだし。目的を達成するための手段であるときっちり認識していて、効率として表れない部署に強要はしていない。

 また、上から命令をしているだけでは部下が育たないを実践している。部下が自主的に動くように仕向けることが部下の成長にも会社の成長にも正しいってのを正しく実践した結果が椅子をなくしたということ。その過程にはねちっこいやり方だなーと反発は覚えるが、間違いだとは思わない。

 パソコンをなくせばってのはタイトルにインパクトを与えるためかな。主張はパソコンをなくせではない。パソコンに向かっている時間の多くが遊んでいる時間で無駄であって損失が発生している。だから、ルールを厳格にするなどパソコンで遊んでいる時間による損失を減らさなければならない、という主張と実践例。変なところはない。

 この本と主張にはそこここに穴やこじつけがある。だから、感情論で批判してやろうと思えばかなり叩ける。しかし、この人の経営手腕とはなにか、どうやって利益率をそんなにも改善できたのかという点に関しては叩けない。正しいもの。確かな実績があるし、(かなり強引にも思えるが)部下に自主性をもたせる手法など人の動かし方や成長のさせ方は決して人を軽視した経営ではない。

 amazonで感想をざっと見ると批判が多いけれど、文章を一部抜き出して間違っているだとかだめだとか言っている感想はあてにしないほうがいいですよ。感情論で批判したろうってだけでしょうから。批判したろうってより、経営や人の使いかたに関して「どのように」と思いながら流し読みするのがいいんじゃないかと思う。この実績はすごい。どのようにその実績をなしえたかに注目するべきであって、間違い探しのために読むのは無駄。


 いやしかし関係ないが、横綱同士の対戦はいいね。この相撲はすげーな。

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コークの味は国ごとに違うべきか

 コークの味は国ごとに違うべきか
 著:パンカジ・ゲマワット  訳:望月衛  文藝春秋

 グローバル化と盛んに言われて久しいけれど、この本は立脚点が異なる。グローバル化といいつつも今はまだその途上であり、セミグローバル化、いわばその途中段階であって、地域ごとの差異により気を配るべきだという視点となる。極端なことをいえばその視点の違いを了承してしまえばこの本の役割は終わりかもなー。

 ただ、すべての国でまったく同じ商売すればいいわけないだろう、なにを当たり前なで判断してこの本を片付けるのは単純にすぎると思う。ではどのような商売をするべきか、企業の他国への展開において気を払うべきはどのようなことか、企業価値をあげるための海外進出、グローバル化とはどのような点を吟味した上で行われるべきかといった、グローバル化のための指南が存在している。現在が不完全なグローバル化であることを認めた上でのグローバル企業の観察、戦略の分析と戦略の取り方について述べる。著者の提唱する分析観点において、成功したグローバル企業のなぜを解読する。

 この本はハーバードビジネススクールでの著者の講義をまとめたものらしいが、さもありなんという具合に一個人には多少遠い。世の中の分析の視点としては楽しくなること請合いであるが、活かせるかというと。。。

 The world is flat を気取って原書で買って挫折して積んでいるのを思い出した。なんか同じインドのアウトソーシング会社を扱ってたような記憶違いのような。同じかはともかく、インドへのアウトソーシングはそれだけアメリカ社会に影響与えたってことか。あー、今も目に見えるところに積んだままだなー。

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創造はシステムである 「失敗学」から「創造学」へ

 創造はシステムである 「失敗学」から「創造学」へ
 著:中尾 政之  角川oneテーマ21

 創造においても、分類してみればある程度カタチが定まっている、というのが最大の気づきだろうか。
 また、初めの章における、要求や思いを具体的な言葉に、具体的にどのような行動をするかに落とし込む、という要求達成のための行動は「具体的な」行動に結びつく知識としてうれしい。

 目的の具体的事例より抽象一般化することで一般的な解決手段と対応させ、さらに一般的な解決手段を個別の具体的手段に持ってくるといった手法が通用することにも人の行動の蓄積の強大さを感じる。

 創造はまったくの新しいことをまったく前例のないことから生み出すことではなく、類型化された手段によってできること。また、創造は特異なことでもなく、普段の生活や仕事のちょっとした行動においても必要とされること、その場合に使える具体的な手法の紹介を行っている。いま創造したいという欲求がある場合にもだが、仕事がどうもうまくいかないという場合にも助けになる内容ではなかろうか。というか、使いたいなぁ。これはとりいれやすいし、例がまさにというのけっこう感じたし。


 あわせて、モジュラー、インテグレイテッドとして、独立パーツの集まりと個々が干渉した集まりとして日本社会および企業の分析にも向かっている。将来向かう先に高機能、高付加価値のインテグレイテッドを目指せってのは、まあそうなんだろうなと思うのだが、しかしイノベーションのジレンマを思い出してしまった。日本社会全体が高機能高付加価値高コストに進んでいるのなら、国として全部ひっくり返されるときがいずれくるのか、内部で破壊が起きるのか。
 技術の強みを生かした高機能側に向かわざるを得ないが、既存の漸進でしかないならその方向は先細りだしなぁ。いや、既に安定期に入って住み分けが完了し変化のない部分と、破壊が進むものとがあるのだろうか。

 変な方向に向かったのでこのあたりで書くのやめ。

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僕が2ちゃんねるを捨てた理由

 僕が2ちゃんねるを捨てた理由
 著:ひろゆき  扶桑社新書

 ついうっかり、気になってしまって買ってしまった。なんか悔しい。だいたいがしてタイトルに絡んだ部分は冒頭わずかで他は論理の人であると自身を認識しているひろゆきの、メインとして新しい知識に関する本ではなく、考えていることであるわけで、さらには元ネタがネットやメディア関係が多いわけで多少は聞きかじった情報がそこここに混ざっていた。手に入らない情報や知らなかった情報はそれほどに多くはない。となれば、なるほど確かにということが多くなり、そのなるほども新しいことを知ったゆえのなるほどは相対に少なく、情報から論理を進めるとそうだねということであり、なるほどと思ってしまうこと事態が悔しいとなる。なぜならばもう少し調べて考えれば自分で同じ結論に至るはずであり、「それは違う」という反論ではなく「まあそうだよね」と追認を得た気になるでもなく、「なるほど」になるのは自分が頭を使って情報を捉えていない証左となりえる。あたりまえじゃん何言ってんのこんなあたりまえのことしか書いてない本を自分はなんで買っちまったんだこいつはひろゆきのファンブックだ、、とまで思えるのが一つの理想かなー。まあ、すべてのことに同じだけ頭を使う義務などないのだから、そこまでかまうものでもないけれど。

 というか何個かひろゆきのblogかなんかで見たような部分もあったな。

 web2.0に関するオライリーに聞いたもそうだったか、

「Aという目的のために行動した人々から集めたデータを解析することによって、Aという目的のためから派生したBという別の情報を作ること」が、オライリーの提唱した「web 2.0」の概念

という部分はメモしておく。

 とはいえ、読みやすく、わかりやすい内容でした。さらっと気晴らしに読むには実にいい。言ってることがわかりやすくて気が楽でいい。

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「貸せない」金融

 「貸せない」金融―個人を追い込む金融行政
 著:小林幹男  角川SSC新書

 こちらは読んで1ヶ月経ってないがやはり忘れた。
 ただ、いくつか強く認識したことはあり、ひとつは姉歯ショックに絡んだ官製不況の影響をさっぱり忘れていたことを自覚した。
 2つに、いまなお日本は「空気」の社会であり続けていることを感じ、「空気の研究」の大きさを再認識した。
 3つに、借金がイコール悪としては経済がまわらないこと、数日のうちに返すあてのある人間にとってはその金利の大きさではなく貸してくれるかどうかと速さが重要であることを認識した。
 4つに、ヤミ金がどうやって利益をあげるかの学習と演習を中学生あたりで実践させれば統計の勉強にもなるし日本の経済オンチの解消と借金へのアレルギーが減って国内経済に多少いいことあるんじゃないかと考えた。

 やはり日本人は経済のセンスがないのかもな。経営ではなく、経済。

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