カテゴリー「ハヤカワなどその他小説」の40件の投稿

虐殺器官

 虐殺器官
 著:伊藤 計劃  ハヤカワ文庫JA

 虐殺器官というタイトルを見、そしてあらすじと帯の推薦文読んだときから興奮してしまった。内容について、この社会という存在自体を虐殺器官とみなすとはなんて社会に対して皮肉な、しかし否定できない視点であることかと。そんな中身への推測をもって読み始めたが、描かれる器官は自身の想像のさらに数段以上も掘り下げられた虐殺の器官だった。そもそもなぜそれが、、をさらに先に進めたものであった。なにがそれであるか、この話には見事に射ぬかれたぜ。けっこうにどんぱちでぐろかったりもするが。何がそれで、なぜ虐殺を起こしているのか、示された言葉に読み進める手が数秒とまるほどに、射ぬかれた。

 SFとして描かれる世界に生きる暗殺任務につく軍人による一人称であり(一人称がぼくというのがまたおもしろい)、さまざまに今はまだ到達しえない技術や装備が存在する。しかし、それらギミック自体やそれによって可能なことそれ自体が本質ではなく、人間とその社会自体をえぐり出すために使われている。人と作中世界ひいては今の世界を描くための道具であって道具それ自体を描くのが主ではない。このSF世界と道具の使われ具合が実に気持ち良い。解説にあった本人インタビューの、今現在の人間しか考えていないという言葉の実行具合が素晴らしい。この人間社会への観察は、波長があったのもあって、可能性を確かに突きつけてくると感じる。仮想の数十年先の未来を描きながら、しかしこれは今現在の人間社会だ。

  ついで、個人的な事柄だが、読んだタイミングとしてなかなかおもしろいときに読んだ。「思考と行動における言語」を読み終わったはいいがなにいってんだかようわかんねーなーと外在的と内在的と抽象段階とが片隅にくすぶり続けていたから、作中の会話がおもしろい。認識と言語に関する言葉を先に読んだ本の面からみなそうとする動きが頭の中にあった。外在と内在の例を突きつけられた感もあった。よいタイミングであった。

 この著者の作はもうこの世に増えないのだという事実が残念だ。

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追想五断章

 追想五断章
 著:米澤穂信  集英社

 正月休みに読んだ、今年最初に読んだ小説だった。おもしろかった。がしかし、物足りなさも感じる。

 この作者に期待していたものがつまりは青春ものだったからではある。そして帯の青春以後を描いたという言葉から、この作者ならば何を描くだろうという期待には、自分が勝手に抱いた期待からは多少弱かった。

 思うに、自分にとってこの作者の本の何が楽しかったのかを振り返ると、生きるのに重要でない些事に全力を尽くすさまが最大の魅力だったと思う。生きるのに必要ではない、しかし日常に起こりえる出来事(特に青春と呼ばれる時期において)の、些細でありながらその当人にとって重大であるという、生きるためという理由からは離れた出来事への登場人物の取り組みが実に輝いているさまに楽しさを感じたのだと思う。古典部や季節限定シリーズが印象に残っているのはなぜと振り返るとそう思った。

 たぶんこの本を買ったのは最後の一文でひっくり返すとかそのあたりにこだわったとか、そんな煽りをどこかで見たことが関わっていると思う(追記:この煽りは「儚い羊たちの祝宴」についていたものだ。勘違いでした。申し訳ない。追記終わり。)。その言葉に抱いた期待にはどうにもモノ足りない。今手元になく、正月に一度読みきったのみだから、もしや誤解の可能性もある。しかし、主人公の行動に対しての転換がない。各挿話によって構成され、転換されて浮かび上がる物語はおもしろい。けれど楽しくはない。主人公が切実な理由を持ち、物語のなかへの投入感が少ないからだろうか。ボトルネックほどではないのに、こちらがより楽しくなく、残らない。


 なんだろう、この、おもしろかったけれどもの足りない感覚。正月に読んだのにいまさら感想書いていることにも表れている。読み終わってすぐに感想書きたいという種類のものがある。その次に、感想書きたいけれどおもしろかったとしか書けないもの、違う言葉が思い浮かぶものという種類がある。すぐには書けなかったな。言葉は浮かぶのだけれど。

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あなたのための物語

 あなたのための物語
 著:長谷敏司  ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション

 まいった。おもしろい。しかし、これ、物語というものに対してメタだよね。

 最初に気に入らなかった点を並べておこう。文章がたまにひどく読みにくい。劇的なシナリオの展開、転換で驚きと興奮を与えるものではない。

 けれどもおもしろいのだ。舞台となる世界でできるようになったこと、それによってたつ思考がおもしろい。技術と社会の変化、今と変わらないもの、今からの妥当な延長の絡み合いが大変におもしろい。また、物語という点がいまと共通する。人がその人であるための物語、娯楽としての物語の読み手から一瞬でも「言語を奪う」という価値を、死に向かう主人公を通して描かれる。死に向かう主人公の物語によって人の姿と向かいあう。在り方を見せ付けられる物語がおもしろいのだ。

 そして以下まとまりのないあらすじ紹介的感想の垂れ流し。
 舞台となる時代で可能とされている事柄は、いってみればナノマシン万能で脳神経も人が扱えるようになった、ということ。それによってひとつの人格を作り出し、それに物語を書かせる。作られた人格が創造性を持つか否かの検証であり、主人公はその開発におけるトップ。ところが突然に遺伝を原因としたその時代ではまだ不治の病を発病し、余命が長くて1年と宣告される。

 突然に余命が1年となった主人公はあがく。現在への抵抗が自身の行動原理であり、ストレスが限界を超えると非論理的な行動を選択する主人公は、仕事のみにしか生きられなかった主人公は、静かに何もせず病院でまたはどこか療養の地で静かに人生の最後を迎えるという選択をとれなかった。

 主人公の病による苦痛、自分が維持できない苦痛、なぜ自分が死ななければならないのかという恨みが描かれ続け、死に向かう姿が描かれる。同時に、作られた人格の彼(wanna be)は物語を作り続け、彼の姿を通して人間のあり方、物語のあり方が描かれていく。

 脳神経を扱うことができるということは、人間という存在がデータとして作り出せる境地に至った世界でもある。人の経験も知識も人格も、脳の神経のつながりでしかないとなれば、そのつながりを誰かの脳のなかにコピーすれば、その誰かは違う誰かになることができる。これは知識と経験が個人の所有物でなくなり、人格さえも個人の識別にはならない世界に到達できる。個人として多数が存在する意味のない世界。膨大な蓄積をデータとして扱い、テンプレート化すれば、自らの望むどんな人間にでもなれる。だからこそ個人に価値がない。なろうとすればどんな人間にでもなれるのならば、他人と違うことに意味がなくなる。

 そんな世界で、だから物語が必要になる。個人が個人であるのにはそうあらせる物語が必要になる。物語のない人間は自分自身が存在しなくなる。主人公はこの研究の最前線で、そして現在できないことへの不満と抵抗から、人間ができないということへの抵抗から、ITP人格を使いなんにでもなれる人間という存在を描くことができた。自身を実験台にし、病の苦痛から逃れるために脳に楽天的な人格をいれ、一時的に楽観的な人間になってみた。それによってしかし物語がなければ個人の価値がなくなることを認めた。あなたのための物語は、そんな主人公に対しての彼が贈った物語であり、主人公のための物語である。

 作られた彼は物語を作ることのみを目的とした道具である。世界の名作とされる物語をデータとして吸収し、主人公のための物語を作り続ける。物語の立場と役割を認識し、物語は必ず誰かには嫌われるものだと述べる。物語は好きか嫌いかであり、全員に好かれるのがありえないならば、必ず誰かには嫌われる。だから拒否されることはかまわない。メタってると思わざるをえない。なぜ小説を書き続けるか、物語を贈り続けるかを吐露しているようにしか思えない。

 ところで大変なことに気づいた。長谷なのにロリキャラがいない。幼女がいない。

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十二国記 落照の獄

 『落照の獄』  yom yom vol.12 新潮社

 「帰山」だったかな、柳が傾いているという短編。その傾いている国の内部が舞台。死刑禁止の国において凶悪犯にどう対処するか。死刑を復活させるか否か。是非ではなく、国の変化が印象に残る。

 どうやら劉王がどこか変わってしまったのは確からしく、しかしなぜ変わってしまったのかは示されない。そんな王の下で国が変わっていこうと、傾いていこうとしている最中での、凶悪犯罪。この国ではどうやら死刑は禁止されているらしく(劉王の命で)、それなのに罪人を死刑にするか否かの議論が進行してしまう。

 死刑という選択を回避しようとしながらも、最終的に罪人の救いのない徹底的な「悪人」ぶりに死刑を選択してしまう。その選択が「変化」を印象付ける。明確に、国がこれから傾いていく、ということが、罪人への死刑宣告が、国に対する宣告に見える。

 延々と続く議論はしかし、王が一言声をかけ態度を鮮明にすればそれですべて終わる話に見える。または王を(盲目に)信頼し続けていたならば、迷わなくともよい。それができないのは王への信頼が官吏たちのなかでも既に薄くなってきていたからか、国の傾きの反映か。

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秋期限定栗きんとん事件

 秋期限定栗きんとん事件 (上、下)
 著:米澤穂信  創元推理文庫

 他愛ないな(笑)

 まさに青春だね、という上巻の内容が下巻最後の二人の邂逅、再契約における内情暴露によってぶち壊しにされるのがたまらなく楽しいね。しかして1年間をぶち壊しておきながらの再契約はとても素直じゃないのにとても素敵な青春と感じるこの不思議。

 そしてなによりこわいこわい小佐内さんこわいすてき。
 露骨な小佐内さん犯人説へのミスリードと思いつつ完全には否定できないさせないキャラクターとなっていることがすごい。犯人ではないながらに、それでいて強烈に毒々しい。

 ミステリとして犯人探しがしっかと存在しているのに果てに犯人の名は訊く意味もなく言う意味もないと片付けられ(名があるだけでなくキャラとして生きていた人物であるのに)小鳩君と小佐内さんの物語の修飾でしかなくなる。いいな、この回帰、この収束。

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あまがみエメンタール

 あまがみエメンタール
 著:瑞智士記 絵:鍋島テツヒロ  一迅社文庫

 おー、えろいな。爛れている。見事にただれた二人の関係と依存で、主人公が異常性を認識した上で快楽を感じているあたり、えろいね。それだけで終わっていたのなら何を言うでもなくえろかっただけで終わるのだが。

 小中高一貫の女学院という、変化しない環境で続く変化しない世界。日常に異物が入ることはあれど、本質的な変化はもたらされない。このただれた日常を百合だなと眺めるにはおもしろいのだけれど、変わらない日常にどのような変化をもたらすか、どのように変化を拒絶している「変わらない」世界に変化をもたらすか、変化の導入と変化の過程はどうもなー。

 ゆっくりと、しかし存外あっさり過ぎる日常に対し、変化の導入と解決がなんとも一瞬で、そしてそれまでの雰囲気からあまりに乖離した行動で解決されるのがどうにも浮いてる。いや、それでもその解決自体がおもしろければそれでいいのだが、その行為は手段として描かれるだけだし、校医さんの性格豹変がしらけるのなんの。

 なんともアレな例えだけれど、できがいまいちな日常系えろげ。日常描写はけっこういいなーと思ってたら突然にシリアスになって解決してエンディング、数年後をちょっと流して終わり。日常とシリアスとの出来事のつながりがいまいち釈然としなくて、登場人物もなにか別人であるかのようになって。いっそ何も変化をもたらさずそのままでもよかったのにと言いたくなる。それならそれで不満を述べるのは確定であろうけれど。

 変化のきざし自体は途中で与えられているけれど、次第に変わっていく何かなんて感じることができず、変化に対する人物の対応にさめてしまい、どうもなーとなってしまった。日常と変化を受け入れた最後の姿とはありだと思ったのだけれど。

 変化しない世界と関係を描いたものは物語に終わりを迎えさせることが難しいんだなーと思ってしまう話でありました。
 まあしかし、幽霊列車とこんぺい糖のひとってことで買ったという補正をかけると、相変わらずでありましたと期待通りの範疇に収まってはいるのです。

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ICO-霧の城- (小説)

 ICO-霧の城-
 著:宮部みゆき  講談社ノベルス

 原作はやってないですよ。

 おもしろかった。分量に少々読み疲れもしたけれど。ところどころ、ゲームのプレイヤーとしての行動や視点が思い浮かぶような場面があったりで、ゲームのノベライズということをときどき思い出したりした。また、物語の逆転がよい。城主の女王が絶対の悪者と思いきや、または敵であり障害であったものが、とかね。何も知らず接していたときと、情報を与えられた後にまた見るときと、逆転し新たな視点で与えられる展開がおもしろい。

 城としきたりの設定のえぐさがまたよいね。神や魔神なんて持ち出しつつも、人によって作られ維持されている、何よりも残酷であるのは人であると示される。

 全体の設定も物語もすべて了解して最後に整理してみればかなりオーソドックス。けれど読んでる最中は次第に明かされていく設定とイコの対応、厚みのある過去が気になって先が気になってと読み進んだ。ものすごく膨らませたものだなって、原作やってなくても思う。

 過去はともかく、いや過去の城であっても、文章から思い浮かぶ場面は静かなことが多い。人のざわめきがほとんど存在しない。そして景色や建物、周囲の描写が丁寧。たぶん、そういう絵としての魅力が強いゲームなんだろうなー。

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赤朽葉家の伝説

 赤朽葉家の伝説
 著:桜庭一樹  東京創元社

 作者はなんでこれ書いたんだろうなぁと思った。普段そんなことは思わないのだが、これにはなんか思ってしまった。

 この本にどう付き合えばよいのかわからなかった。これはなんだろう、ギャグなのか?日本の戦後から今を描いたシリアスよりな本なのか、それともミステリか。

 ミステリ風な展開に突入する直前において、この小説への評価は一気に天井を突き破ったが、その後の微妙なミステリ展開で落ちついた。

 なぜ評価が天井を突き破ったのかといえば、語り手たる瞳子にいたって何もなくなった、凡庸でありかつ何もない女になったことが、現代のほぼ同年代として、その状況に大いに共感したからだ。現代に至るまでの劇画的な、これはギャグなのかって展開と描き方と、現代の、自身にも将来にもなにもなく何もみることができないという対比に感じ入ったのだ。前半をどうとらえればいいのだろうという疑問に答えがでたからだ。

 「今」から「かつて」の日本の成長期を見る目は、少なくとも自分は確かに、なにかドラマを見るような、漫画を見ているかのような感覚を覚えさせる。そんなイベント盛りだくさんにたいして、「今」は何もない。だから前半でのこれはギャグかと思うほどの展開に対する戸惑いが解消されて、同時に、漫画のような歴史から何もない現代への移り変わりとともに家もまたなくなる同時性がおもしろいと思ったのだ。

 んが。誰を殺したかの話が絡んでいくのはよくわかんねーなーとテンションだださがり。どう捉えればよいのだろうとまた振り出しにもどる。いや、振り出しというほどに戻されたわけじゃないのだが、結末としては時代の終わりと今をまた強く感じたのだが、なぜにこんな展開にと落ち着かない。

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カクレカラクリ

 カクレカラクリ
 著:森博嗣  講談社ノベルス

 この男二人好きだなー。馬鹿さ加減とオタ加減が。スティールの塗装がとかさびがとか、マニアックなところに注目をする。しかし、朽ち果てようとしている人工物に対するその感覚はわからなくもない。

 カラクリと、男二人の趣味と、人工物に対する視点がおもしろかった。人が作り上げたものに、人がその時間と規模のスケールに魅せられる。天才で解決しすぎなきらいはやはりあるけれど、人工物への畏敬がなかなかいいな。

 たまに森博嗣を読みたくなる。登場キャラクタの思考が実にしっくりとくるのがよい。ミステリ部はそれほどどうこうではないが、そこで生きている人物の思考がおもしろい。

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銀色ふわり

 銀色ふわり
 著:有沢まみず 絵:笛  電撃文庫

 最後に電撃文庫を買ったのはいつだったか。いつからかなんとなく意地で電撃を無視してたが、挿絵が笛だということで買い。まあ、意地なんてそんなものだ。

 絵がすばらしかった。ハコイヌがいる!?とかで終わると語り足りないのでもうちょっと。

 ずいぶんゆっくりで丁寧な進行だなと思った。展開の起伏に派手さがない。正直に言えば、あーこいつはなんか唐突に大変な出来事(家出か消失か)ってのが発生して主人公がんばってはっぴーなステレオタイプかなーと予想しながら読んでいた。しかし、そんなイベントがない。あるのはともにゆったりとした状況の開示と打ち解けていく経過。けれどそれに退屈も不満も感じない。そのゆっくりとした描写がむしろ心地よく、引き込まれた。

 主人公の性格とその描写が押し付けがましく感じられなかったのも好感だった。けっこうずいぶんな家庭環境で、また「現状主人公一人だけ」なんて存在なのに、気負いが薄い。かといって無気力までいかず、行動しないことやニヒリズムへの苛立たしさを感じることもない。

 ゆっくりとしていて、なのに確かに変化がそこに存在している展開がよかった。また、終始ゆったりとしながら話を作ることができている作者がすごいなと。ついでには、こうまで続刊を前提とした話を出せるレーベルとしての地力を感じた。


 さらについでに、設定部分に関しても多少興味がわいた。
 生きてるものを直接に知覚することができず、そして相手にも認識されない、そんな存在をどうやって赤ん坊から育て上げたのかに強烈に興味がわいた。人間の子供は(哺乳類全部そうだったかな)しばらくの間それ単体では生存できない。そんな存在を、さらに周囲が認識できず、周囲も認識できない存在をどう育て上げたのか。どのように栄養を与えたのか?栄養摂取を学習させたのか?できないことじゃない。けれど、自分で想像した場面の図はひどく機械的になりすぎて(気分はマトリックス)、どうも気持ちが悪い。それをはっきりしたいなという思いと、そこまでして育てた動機が気になった。

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